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「『これぐらいでも勝てるんや』と思ってしまった」あの田中希実を破って全国制覇…“天才少女ランナー”はなぜ突然、陸上界から姿を消した?

posted2024/08/06 11:02

 
「『これぐらいでも勝てるんや』と思ってしまった」あの田中希実を破って全国制覇…“天才少女ランナー”はなぜ突然、陸上界から姿を消した?<Number Web> photograph by (L)AFLO、(R)Satoshi Wada

中高時代には全国制覇を経験し将来を嘱望された高橋ひなだが、大学で長いスランプに。一度は陸上の世界からドロップアウトしたという

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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(L)AFLO、(R)Satoshi Wada

 パリ五輪の注目選手で、日本女子中長距離界の第一人者である田中希実(New Balance)。そんな彼女だが、実は高校時代にインターハイで全国の頂点に立った経験はない。在籍した西脇工高は田中が高2時の1500mで「表彰台独占」の快挙を達成しているが、彼女は2位。その時に頂点に立ったのが田中の1学年上の先輩・高橋ひなだった。中学時代から活躍を見せた「天才少女」は、しかしこの優勝を機に陸上人生の歯車を狂わせていくことになる。26歳になった彼女が語った、かつての蹉跌とは。《NumberWebノンフィクション全3回の2回目/つづきを読む》

 決して順調な高校3年間を送ったわけではない。中学時代の栄光に比べれば、もの足りなくも映ったかもしれない。だが、苦しみぬいた3年間の最後に存在感を示した。「やっぱり高橋は強い」そう思わせるのに十分な活躍は見せた。

 しかし、少しずつ歯車が狂い始めていたのも事実だった。

「それまで走るために生活を費やすのが普通だと思っていたのが、だんだんと『実は普通じゃなかったんだ』って思うようになりました。それが高校2年生ぐらいの頃です」

「あの時、優勝しないほうが良かったんじゃないか」

 本人は、そう気持ちに変化があったことを明かす。高3のインターハイ優勝にも葛藤を覚えることがあった。

「あの時、優勝しないほうが良かったんじゃないかなってたまに思うんです。中3の国体にしろ、高3のインターハイにしろ、自分が予想していなかった勝ち方をした。“今日は確実に勝てる”という確信を持って勝ったわけではない。自分は、そういう感じで勝てた試合が多かった。

 言い方が悪いですけど、『これぐらいでも勝てるんや』って思ってしまったところがあったのかもしれません。だから、高校を卒業してから、陸上がうまくいかなかった。練習環境もコーチも、メニューも、本当に一流のなかの一流だったのに、自分はそこにいてもいい人間ではなかった」

 栄光が必ずしもプラスに作用するとは限らない。高橋は出口の見えないトンネルでもがくことになる。

 高校卒業後の高橋は自己推薦で早稲田大学スポーツ科学部に入学した。しかし、部活動ではなく、ナイキが立ち上げたプロチームNIKE TOKYO TCで競技を続けた。 

【次ページ】 陸上から離れるも…「普通の生活」で感じた空虚

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