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「絶対に“大丈夫?”と聞かなかった」バレーボール始めて5年で日本代表に…“未知の世界”に飛び込む息子を支えた母の愛情「返信なんて、ないない」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byNaoya Sanuki/JMPA
posted2024/07/30 17:01
2度目のオリンピックに挑む山内晶大(30歳)。今大会限りで日本代表の活動を終えることを明言している
当時のことは、晶大自身から何度も取材で聞いている。ナショナルトレーニングセンターの最寄り駅である「赤羽」がどこに位置しているかも把握しておらず、いざ施設に到着してもどこから入ればいいかすらもわからない。日本代表のメンバーを見渡しても、会話できる人はおらず、顔見知りだったのは高3時の国体選抜で一緒だった石川祐希と、山形県選抜と練習試合をした時に対戦した高橋健太郎ぐらい。ほとんどが自分より年上で、テレビで見たことのある選手がずらりと揃う中、晶大は一人で下を向いて座っていた。
今となっては笑い話だが、当時味わった心細さは想像するだけで胸が痛い。日頃から「よほど必要なことがある時ぐらいしか連絡が来ない」という純子さんも同様で、関係者から話を聞くたび、心配で仕方なかったと振り返る。
「後になってから、深津(英臣)さんや清水(邦広)さんにはすごくよくしてもらったと聞きましたけど、最初の頃はつらかっただろうなって」
離れた場所で戦う息子に母として何ができるか。せめて、大学から合宿に向かう時に送り迎えができないかと考え、当時のパート先に申し出た。
「当時の上司に『仕事を早く上がったり、少し遅れてもいいですか?』と直談判したんです。厳しい方だったんですけど、『そういう理由ならいいよ。周りの人にもちゃんと伝えてね』と許可してくれた。その時、冗談半分で『将来オリンピック選手になれたらいいね』と言われたんです。転勤してしまって、もう会うことはないんですけど、『オリンピック選手になれましたよ』って報告したいですね(笑)」
40分間…母が“言わない”を決めたこと
愛知学院大から名古屋駅まで、時間にして40分の道のりが母子2人で過ごす唯一の時間となった。聞きたいことも、話したいことも山ほどあったが、純子さんは自分に1つだけルールを課していた。
「絶対に『大丈夫?』って聞かないことは決めていたんです。だって、絶対に大丈夫じゃないのはわかっているじゃないですか。だから聞かない。本人が聞かれたら嫌だろうというのもわかっていたし、晶大が話してくるまでは私からあれこれ言わないようにしていました」