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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「大谷翔平にもっとも打たれた投手」元オリックス東明大貴35歳はなぜ“野球から離れた”のか? リクナビで就活、同僚は「マジメなヤツなんですよ」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byShigeki Yamamoto
posted2024/07/18 11:21
現在は不動産会社でサラリーマンとして働く元オリックスの東明大貴(35歳)。大谷翔平との対戦を懐かしそうに振り返ってくれた
「リクナビ」から求人に応募…先輩には元プロ野球選手も
「マジメなヤツなんですよ」
そう話すのは鎌田祐哉さんだ。分厚い胸にヤクルトの投手だったなごりがある。鎌田さんは東明にとって、入社する決め手になった会社の同僚である。だが、選手の頃は面識がなく、東明は野球界のツテを頼って入社したわけではなかった。
岐阜に帰ってしばらくして、東明は転職サイトの「リクナビ」に登録し、就職活動を始めた。履歴書を送った会社のひとつが城北不動産で、求人情報に鎌田さんが紹介されていたのをたまたま見つけた。
「野球から一回、離れてみようという気持ちがあったんです。新しく会う人たちの方がフラットな関係からはじまりますし、場所も変わりますからね。ただ、同じ境遇の人がいた方がいいという思いもありました」
オリックスから戦力外を告げられたとき、クラブチームなどから獲得の打診もあったが、もはや通用しないことは東明自身がだれよりもわかっていた。だから、マウンドに立つことは断念した。12球団合同トライアウトを受けたのは、家族に最後のユニフォーム姿を見せる、けじめのようなものだった。
会社員生活で気づいた“野球に教えてもらったもの”
新しい世界に身を投じると、これまでの自分がよく見えた。サラリーマンになって2年半。東明があらためて感じるのは、野球に生かされてきたということだ。
「野球ありきの生活を30年してきて、礼儀やマナーも教えてもらいましたから」
岐阜出身で、子どもの頃は中日の川上憲伸にあこがれた。富田高での3年間は、夏の岐阜大会で初戦敗退。頭角を現したのは桐蔭横浜大でプレーしていた頃である。
高校時代は130km台中盤にとどまっていた直球が最速147kmまで向上した。
「高校で引退後も、大学に入るまでずっと同じように練習していたんです。それがよかったですね。僕は練習をすごくしてきた自負があります」
大学1年の春から神奈川大学野球のリーグ戦に登板し、3年春にMVPに輝いた。名声を高めたのは4年春である。リーグMVPを獲得すると、明治神宮大会代表決定戦で東海大の菅野智之(現巨人)との投げ合いを制したのだ。その年の秋はプロから指名されなかったが、社会人野球の富士重工で活躍し、オリックスに入った。