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結婚発表・藤田菜七子26歳は“男性中心の競馬界”をどう変えたのか? 報道陣が殺到「菜七子フィーバー」から女性騎手の牽引役になるまで
posted2024/07/17 11:02
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Sankei Shimbun
JRAの女性騎手として史上初の重賞制覇を果たすなど活躍する藤田菜七子が、自身のSNSで結婚することを発表した。結婚後も現役をつづけ、登録名は「藤田」のまま騎乗する予定だという。
調整ルームへのスマホの持ち込みや暴力沙汰など、騎手に関する悪いニュースがつづいたなか、久しぶりの明るい話題となった。
藤田菜七子の登場で激変した“女性騎手の扱い”
JRAでは16年ぶり、7人目の女性騎手として2016年にデビューした藤田は、今年9年目を迎えた26歳。8月9日の誕生日で27歳になる。
デビュー前から注目されていた彼女は、地方の川崎競馬場で初陣を迎えた。テレビカメラが31台、63社から137名の報道陣が集まり、雛祭りの川崎競馬場は「菜七子祭り」と言うべきフィーバーぶりだった。
スター性があるだけでなく、物おじせず勝負に臨む姿勢も、騎乗技術も期待を上回るものだった。初勝利を挙げる前に重賞の騎乗を依頼されるなど、関係者の評価は当初から高かった。
デビューした2016年はJRAで6勝。2年目の17年は14勝、3年目の18年は27勝、19年は43勝と、毎年、前年の倍ほどに勝ち鞍を伸ばしていった。18年8月には通算35勝目を挙げ、JRA女性騎手の最多勝記録を更新。以後、自身の記録を更新しながら、19年にはJRA女性騎手初のGI騎乗(フェブラリーステークス、5着)、平地重賞制覇(カペラステークス、いずれも騎乗馬はコパノキッキング)を果たした。
その19年には「美しすぎる」と言われたフランスの女性騎手ミカエル・ミシェルが初来日して話題になり、21年には藤田以来のJRA女性騎手として永島まなみと古川奈穂がデビューした。その後、毎年のように女性騎手がデビューするなど、藤田が活躍するようになってから、女性騎手をめぐる状況が明らかに変化し、注目度が爆発的に高まった。
よく、日本の騎手をめぐる状況、いや、競馬界全体をめぐる状況は、1987年にデビューした武豊の登場によって激変した、と言われる。競馬場に行ったことのない人でも「武豊」だけは知っていることが当たり前になり、騎手がアスリートとして広く認知されるようになった。そして、それに引っ張られるように調教師や調教助手、厩務員なども「憧れの職業」になった。