ところが、その“らしくない手”を渡辺が選んだ。高見が率直な思いを口にする。

「（千日手の）方針は変わってないんです。封じ手の開封直後から手待ちを続けているので。ただこの金の上下（動）で待つのは、ちょっと意表を突かれました」

千日手が濃厚に「先生、戻らなくていいんですか？」

　もちろん、本当に意味のない手を渡辺が指したわけではない。千日手の成立に向けて、対峙している藤井聡太王位への「より強めの問いかけ」でもあった。要は、渡辺が腹を括ったのだろうと高見は推測する。

「もう（相手に）委ねるよっていう手なんですよ。動いてもいいし動かなくても、もう自分は金をこう行きますっていう意思を伝えているんです、藤井王位に。それを（藤井が）打開するのかどうかですね」

　すると、藤井も先ほど6八の地点に下げたばかりの角を、再び斜めの5七に進めた。今度は藤井が局面を元に戻す意思を発したのである。再び渡辺が先ほどの金を4二の地点に下げる。手数だけが進んでいくが、盤上には何も変化が起きていない。

　そこからはまるでリプレイを見ているように堂々巡りとなった。指し直しとなれば、関係者もすぐに対応に追われることになる。千日手の成立が時間の問題となったことで、大盤解説会の聞き手の野原未蘭女流初段が「先生、戻らなくていいんですか？」と慌てて問いかける。対局の副立会人である高見は、急いで対局場のある「徳川園」に戻っていった。

7月7日、中日ホールで開催された大盤解説会　©Number Web

立会人の藤井猛九段が…12年前にもあった“千日手”

　15時44分。

　同一局面が4回現れ、80手までで千日手が成立した。

　藤井王位の地元である名古屋での対局ということもあってか、大盤解説会場には老若男女、幅広い世代のファンが足を運んでいた。ライト層の中には、状況を把握できず「……ここから、もう一局やるの？」と困惑した表情を浮かべている人もいる。

　指し直しを受けて、大盤解説では登壇した棋士たちがその説明をしていた。

　実は王位戦七番勝負における千日手指し直しは、過去にも存在している。12年前、偶然にも、今回の立会人である藤井猛九段が挑戦者として当時の羽生善治王位に挑んだ第1局で起きていた。客席に向けて、聞き手の野原がこの情報を明るく伝える。

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