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「水泳自体を諦めていた」驚きの告白も…“天才少女”と呼ばれた今井月がスランプを乗り越えるまでの大決断…指導者も練習環境も全てを変えた日
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTsutomu Kishimoto/PICSPORT
posted2024/07/22 11:02
若くして注目を浴び、日本代表としてリオ五輪に出場した競泳の今井月(現在23歳)
テレビで観た東京五輪…今井の大きな決断
夏が来て、東京五輪が開幕する。
「テレビで観てました。悔しいとかもなくて、ふつうな気持ちで観ている自分がいました」
若くして注目を浴びつつも、伸び悩み、やがてモチベーションを失って、競技生活を終える選手は少なくない。今井もそうならないとは限らなかった。
転機は夏のインカレにあった。
「インカレで初めて負けたんです。不調はずっと続いてたんですけど、中学1年生ぐらいから全国中学とか、インターハイとかでは個人で負けたことがありませんでした。絶対こんなはずじゃないのに、なんで負けなきゃいけないんだろう。さすがにこのままじゃ終われないと思いました」
今井の決断は、練習環境を変え、中学生の頃から関係性のあった飯塚正雄コーチ(東京ドーム)の指導を受けることだった。
「君は絶対、平泳ぎをやったほうがいい」
飯塚コーチの言葉が心に響いた。
一般利用者に交じって練習する日々
今井には平泳ぎ、特に200mへの思い入れがもともとあったが、後押しされる出来事があった。
2021年6月、小学生時代から本巣スイミングスクールで指導を受けていた芝辻泰宏コーチが逝去したのだ。
「やっぱり芝辻先生のおかげでここまで来れた思っていますし、恩師というか大事な存在で、調子が悪いときもアドバイスをくれました。芝辻先生は『君は平泳ぎで2分20秒を切れる』と言ってくださっていて、平泳ぎも先生に教えていただいてやっていた感じです」
恩師が亡くなった翌月、今井は岐阜選手権に出場している。
「平泳ぎをやってほしいだろうなと思って、出場しました。もう一回、平泳ぎをやりたいなっていう思いにさせてもらった試合でした」
飯塚コーチのもとに移った今井は、練習に励んだ。25mプール、しかも選手たちが使えるのは2レーンのみ。横では一般の利用者が泳いでいる。東洋大学との練習環境には隔たりがあった。
それでも今井には心地よかった。