オリンピックへの道BACK NUMBER
「水泳自体を諦めていた」驚きの告白も…“天才少女”と呼ばれた今井月がスランプを乗り越えるまでの大決断…指導者も練習環境も全てを変えた日
posted2024/07/22 11:02
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Tsutomu Kishimoto/PICSPORT
◆◆◆
2016年リオデジャネイロ五輪に15歳で出場し、翌年も成長を続けていた今井月だったが、2018年の日本選手権では100m平泳ぎ、200m平泳ぎ、200m個人メドレーいずれも4位。日本代表から外れた。
「日本選手権には中学1年生から出てきましたが、高校3年生で初めてすごい失敗をしましたね」
原因は調整がうまくいかなかったことにあった。
「3月のジュニアオリンピックで日本新記録まであとわずかなところまで行ったんですけど、そこで疲れてしまって疲労が残っていました」
翌年、東洋大学に進学する。2013年に平井伯昌氏が監督に就任し、萩野公介、大橋悠依らがその指導を受けていた。プールをはじめ、申し分ない練習環境が整っていた。
名門・東洋大で陥ったスランプ「自分のことを嫌いになったり…」
だが2019年の日本選手権では200m平泳ぎ4位、200m個人メドレー3位で世界選手権代表を逃す。その後も浮上のきっかけをつかめず大学生活を過ごした。得意だったはずの200m平泳ぎ、200m個人メドレーともに、自己記録に届かないタイムになっていた。
「もっと努力したい、もっと水泳に集中したいと思って選んだ大学でした。自分なりに水泳と向き合ってやっていたんですけれど……。モヤモヤじゃないですけれど、そういうのがありながら水泳をしていました」
その中で責めるのは自分自身だった。
「自分なりに頑張ってはいたので、それでも結果が出ないということはもっと努力しなきゃいけないのかなとか思って、自分のことを嫌いになったりすることもありました。自分のせいだ、自分が悪い、というのをすごく思っていました」
コロナ禍を挟み、東京五輪が近づいていた。選考会となったのは2021年4月の日本選手権。ただ、大舞台までの距離は自覚していた。
「東京のときはもう水泳自体をあきらめていたので、オリンピックに行きたいとかそういう気持ちもまったくなく、早く日本選手権が終わってくれればいいな、くらいの気持ちでした」
エントリーしたのは平泳ぎの2種目。100mは6位。200mは12位で決勝にも進めなかった。