オリンピックへの道BACK NUMBER
“天才少女”と呼ばれた水泳界の逸材「玄関を開けたらカメラが…」高校1年生で五輪出場、今井月(23歳)が注目の裏で抱いていた“責任感”
posted2024/07/22 11:01
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Tsutomu Kishimoto/PICSPORT
アスリートなら誰もが4年に一度の大舞台、オリンピックへの出場を夢見る。しかし切符は限られていて、どれだけ努力を重ねても、出られる者と出られない者がいる。
2024年3月、競泳のパリ五輪日本代表選考会が行われた。
その中に今井月もいた。
競泳界で、その名を知らぬ者はいない。中学生になるやいなや「将来を背負う逸材」として大きな注目を集めると、期待に応えるように15歳でオリンピックに出場。その後長期にわたり低迷したものの、昨年鮮やかに復活を遂げ日本代表に返り咲いた。
迎えた選考会。だが8年ぶりの大舞台への切符を手にすることはかなわなかった――。
それからしばらくの時を経た。
「あれから水中には1回しか入っていなくて、30分も泳いでいないです。水から離れて、ゆっくり過ごしています。旅行に行ったりもしました。韓国に行ったり、友達がいるので福岡に行ったり、福井に行ったり。あまりにも時間があるので、英会話教室に通ったり、自分にプラスになるようなことをしています」
本当ならば日々、プールで練習に精を出していたはずだった。それとはかけ離れた日常を過ごしていた。
浮沈はありつつも、この10年の日本競泳界でたしかな存在感を示してきた今井に、これまでの歩みを振り返ってもらうとともに、パリ五輪選考会の内実と今後を尋ねた。《NumberWebインタビュー初回/全3回》
◆◆◆
今なお、11年前の衝撃は薄れていない。
2013年4月、日本選手権200m平泳ぎ決勝。
このレースに大会最年少の12歳、中学生になったばかりの選手がいた。それが今井月だった。
予選を1位で通過した今井には、決勝を前にすでに注目が集まっていた。
迎えた決勝でも期待に違わぬ泳ぎをみせる。並みいる実力者を向こうに回して3位で表彰台に上がったのである。数々のメディアが大きく取り上げるのも無理はなかった。
中学初日、玄関の前にテレビカメラがいた
今井には今も忘れられない光景がある。日本選手権に出場したことから、他の新入生より遅れて迎えた中学校への初登校の日のことだ。
「『行ってきます』と玄関を開けたらテレビカメラがいました。地元の局ではなくて、全国放送の番組です。事前にアポイントがあったわけではなくて、私は知らなかったし、父親もびっくりしていた気がします」