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大谷翔平ドジャースが“名門中の名門”たるワケ「ド軍でなければ僕のキャリアは…」「だから、言い訳できないんですよ」日本人の先輩が刻んだ足跡
posted2023/12/10 17:02
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Nanae Suzuki
<名言1>
ノモは、MLBの各球団が日本の選手についてのスカウティングをもっと真剣に行ない、契約を結び始めるための“本当の扉”を開くことになったんだ。
(ノーラン・ライアン/Number804号 2012年5月24日発売)
https://number.bunshun.jp/articles/-/227727
◇解説◇
大谷翔平の新天地は、メジャー屈指の名門ロサンゼルス・ドジャースに決まった。
契約合意に至ったその内容は10年総額7億ドルと伝えられ、現在のレートに換算すると約1015億円というもの。MLBどころかリオネル・メッシがバルセロナ時代に結んだ4年6億7400万ドルを上回る、プロスポーツ史上最高額での契約となったとも。その破格ぶりに世界一奪回を目指すドジャースの本気度がわかる。
パイオニア野茂英雄とドジャースの幸福な関係
ドジャースと日本人プレーヤーの関係が始まったきっかけとして、絶対に忘れてはいけない人物がいる。「ドクターK」こと野茂英雄である。
近鉄バファローズ入団後、4年連続最多勝と最多奪三振、ルーキーイヤーに沢村賞を獲得するなど圧倒的なピッチングを見せた野茂だったが、球団と折り合いが合わず任意引退となる。紆余曲折ののちに選んだ選択肢はMLBとなり、95年にドジャースとマイナー契約を結んだ。
野茂の前にNPBを経験した日本人メジャーリーガーは村上雅則のみで、それも1960年代のこと。環境が大きく異なるアメリカの地でどうなのか……と懐疑的な見立てばかりだったというが、野茂は代名詞のトルネード投法でアメリカの強打者から三振を次々と奪い(野球のスコアで三振をKと記すことから「ドクターK」という異名に)、その好投はストライキによって人気低下が叫ばれたMLBの“救世主”となった。
95~98年、2002~04年の2期にわたってドジャースに所属した野茂は、計5回の2ケタ勝利を記録した。その活躍ぶりに、メジャー伝説の投手ライアン氏も称賛を送り、日本人選手がMLBに挑戦するきっかけを作った。その“扉”となったドジャースに、大谷も在籍することになる。
7度の世界一、地区優勝の常連でいられるワケ
<名言2>
ドジャースでなければ、僕のキャリアはもっと早くに終わっていたでしょう。
(斎藤隆/Number903号 2016年6月2日発売)
◇解説◇
ドジャースは1883年創設とメジャーで最も伝統のある球団の1つで、1958年にニューヨークのブルックリンからロサンゼルスへと移転してきた。
ナショナルリーグ西地区での通算リーグ優勝は24回、ここ10年での地区優勝は9回、ワールドシリーズも通算7度制して世界一に輝いているなど、“名門中の名門”と評しても差し支えないだろう。このチームが勝利を積み重ねられる要因として、野球をするための最適な環境と勝利に対する情熱の強さが挙げられる。