近鉄を過ぎ去ったトルネードBACK NUMBER
野茂英雄は「もう日本に帰れない」「危険な賭けだ」メジャー挑戦表明に日本球界から悲観論が噴出…ドジャース・野茂フィーバー前史
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byMasato Daito
posted2024/06/02 11:00
空港を歩く野茂英雄。今から29年前、野茂の渡米には日本球界から悲観的な見方も多くなされた
「不安は、全くありません。球団に認めてもらったし、すごく理解してくれた。本当に感謝しています。これでスッキリしましたし、スッキリした形で行ける。よかったです」
当時、サンケイスポーツ大阪の「猛牛番」だった私は、大阪から東京へと急きょ、取材の舞台が移ることになった。
野村沙知代のチームを訪問
野茂が東京を拠点に練習を行い、個人トレーナーもつけていることも分かった。野茂を獲得したいというメジャー球団が、野茂との交渉に入るための前段階である「身分照会」の手続きが取られるのも、日本野球界の“法の番人”ともいえるコミッショナー事務局を通してになる。さらには、野茂のメジャー挑戦の“仕掛け人”でもある代理人・団野村の動向もマークする必要があった。
ただ、手がかりもなければ、野茂や団野村に繋がる親しい関係者へのコネがあるわけでもない。それこそ丸腰のプロ野球1年目の記者は、断片的な、わずかな情報だけを頼りに、空振り覚悟で、とにかく動き回るしかなかった。
29年前の手帳を繰り直してみると、当時のバタバタぶりが蘇ってきた。
野茂のメジャー挑戦の表明会見の翌日、1月10日に早速東京へ向かっている。野茂の練習拠点だという神宮室内練習場へ足を運び、団野村の母・野村沙知代がオーナーを務め、少年野球チーム「港東ムース」で、団野村がコーチをしていると聞き、チームの試合が行われていた多摩川グラウンドにも行ってみた。
突然の訪問にも真摯に対応する団野村
「まだ、何もありませんよ」「メジャーとの交渉もこれからです」「練習パートナー? そういうのも、ちゃんと考えていきます」
団野村は、初見の記者のぶしつけな直撃取材に、少々困惑の表情を見せながらも「ここまでは電車で来たんですか?」とグラウンドから最寄り駅まで自らの愛車で送ってくれた。その車中で、丁寧に質問にも答えてくれた。