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甲子園の風BACK NUMBER
「本気で役員を目指す」つもりだった“一流企業の営業マン”が30歳で高校野球の監督になったナゼ…「高嶋先生を超えるには、急がないとヤバいと」
posted2024/04/18 11:00
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
(L)Fumi Sawai、(R)JIJI PRESS
戦後、甲子園に5季連続で出場した選手は、荒木大輔(早実・80年~82年)や、清原和博、桑田真澄(PL学園・83年~85年)ら甲子園を沸かせたスーパースターを含め、計12人もいるという。
うち智弁和歌山の選手は1/3の4人。17年夏から出場した黒川史陽(楽天)、東妻純平(DeNA)らが直近にいるが、1年夏から捕手の控えとしてベンチ入りした道端俊輔は2009年夏から2011年夏にわたり聖地の土を踏んだ。
2年上のエースだった岡田俊哉(中日)とバッテリーを組み、1年上には西川遥輝(ヤクルト)もいた。その秋から正捕手となり、甲子園での最高成績は3年春のベスト8。3年秋にはAAAアジア野球選手権大会の日本代表に選出され、指名打者としてオールスターチーム(ベストナイン)にも選出されている。
2024年1月、鹿児島城西高の監督就任の報が…
その道端が鹿児島城西の野球部監督に就任するという報道が流れたのは今年の1月だった。道端自身、未踏の地でもあった鹿児島の高校での監督就任に至る以前から抱いてきた“野望”があった。
「いつか智弁和歌山みたいなチームを地方で作って、甲子園を目指したいというのはありました。(智弁和歌山の恩師である)高嶋(仁)先生(監督)が作った智弁和歌山は、地元を大事にして、自分の手で鍛えてきたチーム。そんなチームで甲子園に行って、いずれは高嶋先生を超えたいと思ってきたんです」
今春のセンバツで大阪桐蔭の西谷浩一監督が甲子園通算69勝を挙げ、甲子園最多勝数が塗り替えられたが、それまでは智弁学園・智弁和歌山の高嶋仁元監督の68勝が最多勝利だった。