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史上最年少15歳でドラフト指名され阪神へ…“神童”辻本賢人はいま、何をしている?「周りの人は僕が野球をやっていたことを知らない」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/04/08 11:01
2004年、15歳で阪神タイガースからドラフト指名された辻本賢人。35歳になったいま、運命を変えた「20年前のあの日」を振り返る
「嬉しい反面、不安やったり…」ドラフト指名当日の記憶
辻本には、はっきりとこの日だと言える人生の節目がある。
2004年11月17日。
この日行われたプロ野球のドラフト会議で阪神から8巡目指名されたのだ。ニュースを知った日本中が驚いた。なぜなら、辻本はまだ15歳だったからである。ドラフト制が始まった65年以降、史上最年少での指名だという。育成選手制度が始まる前年のことで、朝日新聞や読売新聞には社会面で報じられた。テレビのワイドショーにも取り上げられ、喧騒の日々が始まった。
辻本はあの日のことをよく憶えている。
「家にいました。普通にリビングで座ってたんちゃいますかね」
曇天の一日だった。午後3時半。ジャージ姿でソファに腰かけ、自宅のテレビで朗報を見届けると、カメラのフラッシュを浴びた。目の前の出来事を現実とは受け止められず、しばし固まったが、やがて両親と抱き合って喜んだ。記者たちに二重三重に囲まれるなか、「ビックリという気持ちが大きい。本当に僕でいいのかな……」と率直に言い、その場で阪神入りを即答した。
辻本は当時の心境を振り返る。
「いろんな気持ちが混じっていた気がします。すごく嬉しい反面、不安やったり、怖かったり、いろんな複雑な気持ちがありました。ちょっと混乱していました。いま考えれば15歳ですからね。ただの子どもですから、ありえないことですよね」
「なんで、知らない人とばかり毎日会うんやろう」
予感はあった。初めて「辻本賢人」の名前が世に出たのは2004年10月末である。「ドラフト隠し玉」として指名される可能性がスポーツ紙にスクープされたのだ。
ボーイズリーグの兵庫尼崎でエースだったことや中学1年の時にアメリカ留学したことが紹介され、最速142kmの若き右腕投手を複数球団が追っていると伝えていた。
「ワンダーボーイ」と囃された辻本はアメリカのハイスクールを一時休学して帰国し、日本では強豪の高校からも誘われていた。関西だけでなく、関東や九州の強豪校にも呼ばれ、マウンドで投げた。そこでは、いつも見たことがない大人たちが見守っていた。