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史上最年少15歳でドラフト指名され阪神へ…“神童”辻本賢人はいま、何をしている?「周りの人は僕が野球をやっていたことを知らない」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/04/08 11:01
2004年、15歳で阪神タイガースからドラフト指名された辻本賢人。35歳になったいま、運命を変えた「20年前のあの日」を振り返る
「親からは、詳しく聞かされていなかったんです。しかも、僕はアメリカでの生活が長かったから、日本語よりも英語の方が得意で、日本の新聞をあまり読めませんでした。だから情報も入らなくて。周りが盛り上がっただけで『結局、指名もなかった』というのもありえると子供心に思っていました。なんで、こんなに知らない人とばかり毎日会うんやろうって。何を信じていいかも分からなかったという状況はよく憶えています。何かのドッキリかなって(笑)」
辻本は異色の経歴の持ち主である。中学1年の夏に渡米したのは、日本の猛練習から逃げるためでもあった。「野球を辞めたくなって。アメリカに勉強しに行きたいってウソをついたんです」。そのまま中学時代をネブラスカ州で過ごすと、自由な気風が肌に合い、野球の才能が開花した。
高校はカリフォルニア州のマタデーハイスクールに進学した。頭角を現したのはこの頃だ。1年生ながら、最上級生に交じってプレーしたのは異例で、「あの頃が一番、自信があったと思います」と振り返る。のちにメジャーリーガーになるダニー・エスピノーサ(元ナショナルズなど)が2学年上でチームメートだった。
指名の決め手となった“星野仙一のひとこと”
知る人ぞ知る逸材を巡っては、ダイエー(現ソフトバンク)がいち早く評価し、熱心に調査を進めていた。遅れて動きだしたのが阪神などの他球団である。辻本は日本の中学、高校では事実上、学んでおらず、高校1年にあたる学年だった。
野球協約には海外の学校に属する選手に関する規定がなかったため、日本野球機構も動いた。ドラフト直前の実行委員会で諮り、指名が可能だと結論づける念の入れようだった。
獲得を模索する阪神において大きな後押しになったのが、当時、オーナー付シニアディレクターを務めていた星野仙一である。
「地元の有望な選手は地元の球団で支えるべきだ」。このひとことが球団の総意となり、前例のない指名に繋がった。