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大谷翔平「ドジャースで大きな難題に直面するでしょうし、直面したい」エンゼルス記者が見た入団会見「オオタニを満たすのは勝利しかない」 

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ジェフ・フレッチャー

ジェフ・フレッチャーJeff Fletcher

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posted2024/03/31 11:01

大谷翔平「ドジャースで大きな難題に直面するでしょうし、直面したい」エンゼルス記者が見た入団会見「オオタニを満たすのは勝利しかない」<Number Web> photograph by ZUMA Press/AFLO

数ある選択肢の中から、ドジャースを選んだ大谷翔平

「僕があと何年、現役選手でいられるかはわかりませんが、だからこそ勝つことを最優先にしているのです。そこが僕のなかで最優先事項で、そこは今後も変わらないので、それがこのチームを僕が選んだ理由の1つです」

 エンゼルスとは正反対にというべきか、ドジャースは11年連続でプレーオフ進出を果たしており、地区優勝10回を達成している。

 2023年には、ドジャースは100勝を達成し、メジャーで2番目の勝利数を誇っている。だが、この11年でワールドシリーズ制覇は1回だけだ。2022年と2023年、ドジャースはプレーオフの第1ラウンドで、どう見ても格下の相手に負けてしまった。

 2020年、新型コロナウイルスのパンデミックにより短縮されたシーズンでは、やっと悲願のワールドシリーズ制覇を果たしたが、2017年と2018年にはワールドシリーズで敗れている。チームはせっかくレギュラーシーズンで圧倒的な強さを見せても、その強さをポストシーズンの勝利につなげることができていない。

 この点を、ドジャース経営陣は大谷に対して「失敗」と語ったという。ドジャースはまだ満足していない、という点が大谷の心に響いた。大谷はこう語った。

「マーク・ウォルターさんも含めて、ドジャースが経験してきたこの10年間を、彼らはまったく成功だと思っていないとおっしゃっていたので、それだけ勝ちたいという意志が強いんだなというのは心に残ったかなと思います」

知られざる名門球団の苦悩

 ドジャースは、2020年のワールドシリーズ制覇まで30年以上の時がかかった。これはメジャーリーグ屈指の名門球団としては、決して喜ばしくない、長すぎる不毛の期間である。

 球団は、もともとニューヨーク市の一部、ブルックリンで始まった。

 創設は1883年で、最初のプロチームが試合をしてからわずか15年後のことだった。初期のころはさまざまな名称で知られていたが、最終的には、1911年にドジャースとして定着した。

 これは「トローリー・ドジャース」、つまり、 世紀末にブルックリン全体に張り巡らされた「路面電車を避ける人」の略称だ。

 ブルックリン・ドジャースは、 世紀前半には近所のニューヨーク・ヤンキース、およびニューヨーク・ジャイアンツの陰に隠れ、著しい苦戦が続いた。

 ドジャースがやっと強くなり始めたのは、1940年代にブランチ・リッキーが社長となってからのことだった。彼は野球界に名を残す伝説的経営者の1人で、最大の功績としては、1947年に初の黒人選手となるジャッキー・ロビンソンとメジャー契約したことがあげられる。また、リッキーはマイナーリーグの組織強化にも大きく寄与した。

 ブルックリン・ドジャースは1955年、ついに、ヤンキースを下して初のワールドシリーズ優勝を果たした。そして、これがブルックリンでの絶頂期だったが、間もなく市と新球場に関する合意に至ることができず、本拠地に別れを告げることになる。

 1958年に、ドジャースはロサンゼルスに移った。ニューヨーク・ジャイアンツもあとを追うかのように、サンフランシスコへ移転した。

 これにより、メジャーリーグが東海岸から西海岸まで初めて広がったことになる。そして、新しい西海岸の本拠地で、ドジャースは大きく花開く。

【次ページ】 MLB取材の礎を築いたドジャースと野茂

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