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大谷翔平に殺到する日本メディア、米国でどう見られてる? 過去には “出入り禁止”も...記者が見た「伊良部フィーバー」「イチローの登場」 

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水次祥子

水次祥子Shoko Mizutsugi

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photograph byJoe Camporeale-USA TODAY Sports/JIJI PRESS

posted2024/03/02 11:00

大谷翔平に殺到する日本メディア、米国でどう見られてる? 過去には “出入り禁止”も...記者が見た「伊良部フィーバー」「イチローの登場」<Number Web> photograph by Joe Camporeale-USA TODAY Sports/JIJI PRESS

結婚を報告した大谷翔平

「オオタニがドジャースにやってきたことで起こったメディアサーカスは、これまで見たこともない規模のものだった。ドジャースのキャンプには普段なら10人ちょっとの記者が取材にきている程度だが、今年はキャンプインから1週間、毎日70~80人の記者が集まっている。そしてその多くは、オオタニとヨシノブ・ヤマモトを何から何まで克明にカバーする日本メディアの記者だ」

 記事にはそうつづられていた。

野茂英雄から始まった“メディア殺到”

 日本の報道陣によるメディアサーカスは、トルネード旋風を巻き起こした野茂英雄の時代から始まった。野茂が1995年にドジャースと契約しチームに合流したとき、大勢の記者やカメラマン、テレビクルーがフロリダ州ベロビーチにある球団の当時のキャンプ施設に殺到。ドジャースの番記者だったロサンゼルス・タイムズ紙のマイク・ディジオバンナ記者は、当時のことを振り返った2020年3月の記事にこう書いている。

「ノモと彼の通訳が車に乗り、球団の本部事務所前の小さなドーナツ状の道をゆっくりと進んでいると、その後ろにつき従うかのように日本メディアの大群がついてきて、それはまるでキーストン・コップスものの映画のようだった」

 キーストン・コップスとは、1910年代に米国で活躍したコメディアングループで、警察隊がドタバタ喜劇を演じる映画で人気だった。恐らく当時の米国人記者にとっては、野茂を取り巻く大勢の日本の報道陣が喜劇的に見えたのだろう。現在ダイヤモンドバックスのCEOとなっている当時のドジャース広報副部長デリク・ホール氏は野茂がやってきた初日のことを同紙で回想し「日本の報道陣に追いかけられている光景を30分くらい眺め、なんてことだ、こんなに報道陣がついてくるのかと思った」と話している。

 野茂以降、日本のトップ選手がメジャーに移籍するたびに、メディアサーカスは続いた。

伊良部秀輝のヤンキース時代「ある事件」

「第2の野茂」と呼ばれた伊良部秀輝のときもそうだった。ロッテに所属していた伊良部は「メジャーに移籍し、ヤンキースでプレーしたい」と表明し、まだポスティングシステムもない時代に球団と大もめした末に、球団が決めたパドレスには入らずトレードという形で1997年5月にヤンキースに入団。そのすったもんだが批判的に報道され、伊良部と日本の報道陣との関係は険悪だったが、それでもヤンキースには大勢の日本メディアが詰めかけた。

【次ページ】 騒動はほかにも…

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