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新日本プロレスに別れを告げたオカダ・カズチカの行先は?「黒タイツ姿の岡田かずちか19歳」が新日本を支える“レインメーカー”になるまで
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2024/02/29 17:02
2010年1月、レインメーカー以前の「岡田かずちか」。海外修行を経て、オカダ・カズチカは新日本プロレスのエースへと成長を遂げた
「どうしようもない岡田かずちかを育ててくれた…」
時は流れた。2024年、棚橋は新日本プロレスの社長になり、オカダは新日本プロレスを去った。
36歳という年齢がそうさせたのか、オカダはアメリカ行きを選択した。もしコロナ禍の期間がなかったら、その機会はもっと早くに訪れて、オカダが今回最終的に選ぶであろう結果とは別の選択が生まれていたかもしれない。
オカダはアメリカに行く。環境は違う。新天地ではメンタル的にも鍛えられるだろう。それに耐えられなければアメリカではやっていけない。
アメリカのファンはオカダに大きな期待を寄せている。新しいオカダ・カズチカを見せることができれば、オカダは成功するだろう。逆に新しさや進歩が感じられなければ、その存在を瞬時に否定されてしまうだろう。
期間はわからないが、オカダは日本より厳しい世界で生きることを選んだ。
プロレス大賞最優秀選手賞5回。年間最高試合賞9回。IWGP王座(世界を含めて)7回。これはオカダが日本のプロレス界に残した大きな足跡だ。
「メキシコから19歳で来たどうしようもない岡田かずちかを、“レインメーカー”オカダ・カズチカに育ててくれたことに感謝しかありません。新日本プロレスという最高の団体、戦ってきた最高の選手、応援やブーイングをしてくれた最高のファンの皆さん、本当にありがとうございました」(オカダ)
札幌のリング。前王者SANADAを破ってIWGP世界ヘビー級王座の初防衛に成功した内藤は、放送席にいたオカダを「オレに挨拶がない」とリングに呼び入れた。
向き合ったオカダに、内藤はちょっとだけ突っかかった。「東京ドームのメインイベント」という物語の続きは、本当にあるのだろうか?