プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
新日本プロレスに別れを告げたオカダ・カズチカの行先は?「黒タイツ姿の岡田かずちか19歳」が新日本を支える“レインメーカー”になるまで
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2024/02/29 17:02
2010年1月、レインメーカー以前の「岡田かずちか」。海外修行を経て、オカダ・カズチカは新日本プロレスのエースへと成長を遂げた
一方の内藤はこんなコメントを残している。
「岡田がメキシコでどれだけのレスラーだったか知らないけれど、まだ甘いぞ、と。新日本じゃまだまだ甘いぞ、というのを少しは叩き込めたと思います。また当たるのが楽しみですね」
岡田は体が大きいし、もちろん期待されていた。いいドロップキックを放つ印象もあったが、ルチャから入ったためだろうか、戦うスタイルの違いなのだろうか、なんとなく「ただ戦っている」感じで、その頃の新日本のリングではインパクトを残せなかった。
「レインメーカーショック」で新日本の頂点に
2010年1月31日、ディファ有明で岡田の海外修行壮行試合が行われた。相手は棚橋弘至で、岡田が敵うはずもなかった。矢野通に襲われる一幕もあった。岡田は深々と頭を下げた。
アメリカTNAへの修行の旅に出た岡田は1年11カ月後、髪を金色に変え派手なコスチュームを身にまとい、金の太いネックレスをつけていた。それは下劣にも見えたが、「オカダ・カズチカ」のキャラクター“レインメーカー”が完成していた。
日本のファンの前に姿を見せたのは2012年1月4日の東京ドームだった。そしてメキシコから帰ってきた吉橋伸雄(YOSHI-HASHI)に勝利した。
「対戦相手がどうのこうのっていうより、まあこのオレさえ見てくれていればいい。対戦相手が誰であろうと、どうとも思わない。オレだけ見てればいいんだよ。どんどん新日本プロレスをオレが儲けさせてやるよ」
そんなことを語ったオカダは、同日IWGP11度目の王座防衛に成功した棚橋への挑戦を表明した。だが、オカダへのファンの視線は冷ややかだった。「IWGPは遠いぞ」と棚橋には一蹴された。
それでも、外道をマネジャーにつけて大きくイメージチェンジを果たしたオカダは自信あり気だった。
そして、2012年2月12日の大阪府立体育会館で棚橋が敗れるまさかの「レインメーカーショック」が起きた。24歳でIWGP王者になったオカダは、それから12年間、新日本を支える存在になった。そして、そのリングに挑戦の名乗りを上げたのが内藤だった。