濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「もうプロレスやりたくない」負傷欠場中のSNS誹謗中傷…それでも人気女子レスラー・中野たむが復帰するまで「リングの上が、生きる場所」
posted2024/03/02 17:02
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
「もうプロレスやりたくないです……」
負傷欠場中、中野たむはそう言って泣いた。保持する“赤いベルト”ワールド・オブ・スターダムを返上させてほしいと泣いたこともあった。
昨年4月、たむはスターダム初の横浜アリーナ大会で赤いベルトを手にした。さらに白川未奈とのダブルタイトルマッチを制し“白いベルト”ワンダー・オブ・スターダム2度目の戴冠。赤白2冠王となる。
白いベルトはMIRAIに奪われたものの、赤いベルトは3度の防衛を重ねる。しかし、4度目の防衛戦は行なわれることがなかった。左膝内側側副靱帯損傷で長期欠場となったためだ。
「プロレスに対してアレルギーみたいになって…」
「最初の3週間はヒザを装具で固定して。腰も悪くしていたのでほとんど動けませんでした。それでも、装具が外れたらリハビリをして、11月の防衛戦に間に合わせましょうとリングドクターの先生と話していたんです」
ところが、いざ装具を外してみるとヒザが痛くて曲がらない。試合どころではなかった。いつ復帰できるか発表できない状態での欠場。SNSでは誹謗中傷も。
「お願いだからベルトを返上させてくださいって、小川さん(ロッシー小川エグゼクティブ・プロデューサー=当時)に話して泣きました。プロレスに対してアレルギーみたいになって、SNS(インスタグラムとX)はログアウト。今度はプロレスをやめたいと泣いて」
とにかく安静にしているしかない。ウーバーイーツで注文した食事をとり、寝転がってNetflixを見る。「毎日毎日、寝正月みたいな生活」は、プロレスラーにとって苦痛でしかなかった。
「やっぱり体が動かせないと病むんです」
団体最高峰の赤いベルトを巻く責任感を、かつて彼女は「選手全員の人生を背負うようなもの」だと語っていた。だが結果としてベルト返上。トレーニングもできず、背負い切れなかった責任に押し潰された。
リングでの挨拶も、怖くて仕方がなかった
一度は切れたプロレスへの思いを取り戻したきっかけは、12月に届いた予想外の報だった。東京スポーツ制定の女子プロレス大賞を受賞したのだ。ベルトを返上しても、赤白2冠の偉業は認められた。
「欠場期間中は(同じユニットの)なつぽいがご飯に連れて行ってくれたり、(安納)サオリちゃんはいつも連絡をくれて、その度に“たむのいいところ、3つ言ったるで”って。ウナギ(・サヤカ)とも話したし、いろんな人が支えてくれました」
12月29日の両国国技館大会では久々にファンの前に顔を出し、リング上で挨拶。ファンはあたたかい拍手でたむを迎えたが、本人は直前まで怖くて仕方がなかったという。