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大谷翔平効果で中日の「背番号17」が爆売れ中…“そっくりデザイン”に秘めた星野仙一の野望と「入団会見にドジャースユニ混入」の真相は 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byAFLO/JIJI PRESS

posted2024/02/09 11:00

大谷翔平効果で中日の「背番号17」が爆売れ中…“そっくりデザイン”に秘めた星野仙一の野望と「入団会見にドジャースユニ混入」の真相は<Number Web> photograph by AFLO/JIJI PRESS

ドジャースのユニフォームに袖を通す大谷翔平(左)と中日・柳裕也(右)

 戦力を整えるのと並行し、選手の意識改革にも努めた。そのひとつがユニホームの全面リニューアルだった。かねてより親交のあったドジャースのピーター・オマリー会長の許可を得て、そっくりユニホームに変更した。目的は選手の気分を一新することもあっただろうが、それ以上に「自分たちは変わる」と暗示をかけたかったのではなかろうか。実際には当時のドジャースは中日より巨人と親密な関係にあった。しかし、星野の力をもってすればドジャースも動かせる。選手にその実行力を見せつけることによって「巨人コンプレックス」を一掃したかったのだ。

選手も知らなかった極秘計画

 そうして迎えた開幕戦は4月10日。相手は奇しくも宿敵と位置づけた巨人だった。今ならば新ユニホームは必ず事前に記者会見が設定され、大々的にお披露目されるものだがこの時の中日はドジャース型ユニホームを一切見せなかった。それどころか選手たちも見たのは試合当日だった。宿泊先のホテルで行われた出発式で選手に手渡され、袖を通したという。

「そうなんです。僕たちも開幕戦の前だった。もちろん変更することは知っていましたし、監督が替わるシーズンはユニホームのデザインも変わるものだからそこに驚きはなかったけど、あのユニホームを見た時は画期的に感じましたね」

 当時の主力選手の1人、仁村徹氏の記憶にもはっきり残っている。また、当時の新聞記事にはゲーリー・レーシッチのコメントも載っている。いわく「最高のデザイン。このチームにいることに一層誇りを感じる」。しかし、この試合は後楽園。グレー地のビジター用ユニホームだった。本拠地開幕は4日後の14日。白を基調としたホーム用のユニホームは、この時に披露されている。

当日の先発投手の証言

「それまでが横にラインが入った、いわゆるウルトラマンユニホームだったでしょ? ダサかったから(笑)。でもあの時は違う。みんながかっこいいと思っていたし、僕のテンションもめちゃくちゃ上がったのを覚えていますよ」

 当日の先発投手だった鹿島忠氏のそんな感想は、全選手に共通する思いだった。ライバル球団の選手たちもうらやましがったという斬新なデザイン。試合は10日は西本聖に完封され、14日は6投手が11四死球を出す乱調で大敗を喫した。しかし、8月には高卒ドラフト1位の近藤真一(現在は真市)が、初登板で巨人を相手にノーヒットノーランを演じた。シーズンも2位で終え、星野監督がねらった意識改革は奏功したのである。

【次ページ】 入団会見に“混入”の真相

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