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「1億円超の大減収」でも野茂英雄は笑っていた…あのドジャース入団から29年、大谷翔平が受け継いだ「日本選手の未来を背負う」という覚悟
posted2024/01/26 06:01
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph by
JIJI PRESS
1995年2月13日、ロサンゼルスは雨に見舞われていた。雨が降らない街と聞いていたが、12月から2月は雨季にあたるのだという。肌寒い2月の昼下がり、ダウンタウンにある「ホテル・ニューオータニ」(現ダブルツリーホテル)で野茂英雄のドジャース入団会見は行われた。
1億円超の“大減収”でも、野茂英雄は笑っていた
ピーター・オマリー会長を筆頭にフレッド・クレアGMら球団首脳が集結し、司会は殿堂入りの名アナウンサー、ビン・スカーリー氏が務めた。当時メジャーリーグはストライキの真っ只中。新たなメジャー契約は結べない。マイナー契約での発表となった。
だが、その一方でストライキが解除されれば、メジャーキャンプに参加できる権利も与えられていた。実質的にはメジャーとのスプリット契約。契約金は200万ドル(当時のレートでは約2億3000万円)、ただメジャーに昇格しても年俸は最低の12万ドル(約1380万円)。94年に日本球界で推定1億4000万円の年俸を得ていた野茂には大減収だった。彼には奥さんも子供もいた。老婆心ながら「お金は大丈夫なのか」と心配になったが、彼は笑っていた。
「いつかストライキは終わりますから。それにアメリカでは頑張ればお金はついてきますから」
守りに入る意識などない。己を信じることができる強い精神力を表す言葉だった。