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「自分自身に絶望して…」サッカー日本代表・南野拓実が明かした“人生最悪の日”からの帰還「どれだけ批判されようと、ナンボのもんだと」
posted2024/01/31 17:00
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
Eri Kawamura
発売中のNumber1089・1090号掲載の[あれから1年]南野拓実「奈落からの帰還」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文はNumberPREMIERにてお読みいただけます】
南野拓実「人生最悪の日」
PK戦後の取材は、難しい。W杯で、日本が負けたともなればなおさらだ。PKを失敗した選手、止められなかった守護神はどん底の精神状態。そんな彼らにどう質問するべきか。攻守のキーマンに、120分間の内容についても話を聞きたい。この試合で代表引退の可能性があるベテランの声も必要だ。各メディアは、頭をフル回転させて取材の作戦を組み立てる。
あの日、カタール・アルジャヌーブスタジアムのミックスゾーンは、そんな記者たちでごった返していた。部屋自体は広いものの、テレビとペンで取材エリアが分けられ、ペン記者たちはわずかな空間に押し込まれた。テレビカメラの前で選手たちが語る言葉を拾おうとすれば、すぐにしかめっ面の大会関係者が立ちはだかった。
テレビ取材を終えた選手たちが、ようやくこちらに姿を現した。権田修一を筆頭に、三笘薫、ルカ・モドリッチも来た。すぐさま何重もの人垣ができる。その隙間から、各国の記者が腕の筋肉をぷるぷる振るわせながら、懸命に柵の向こうへICレコーダーを突き出していた。
日本の背番号10は、そんな喧騒から逃げるように立ち去った。顔を下に向けて、オーラを消して、早足で。記者に呼びかけられても、足を止めず。日本代表戦に限れば、彼が無言のままミックスゾーンを通過するのは初めてのことだった。
「あのときばかりは……周りやメディアのみなさんのことよりも、自分の感情を優先しないと、心が持たないような感覚でした」
2022年12月5日は、南野拓実にとって「人生最悪の日」になった――。
なんでPKすら決められないんや
カタールW杯ラウンド16のクロアチア戦は、延長戦でも決着がつかず、PK戦にもつれ込んだ。日本のベンチ前で円陣が組まれ、森保一監督がPKキッカーの志願者を募ると、迷わず手を挙げた。
「俺、行きます」
南野は、当時をこう振り返る。
「PK戦になった瞬間から、蹴ろうと思っていました。できれば1番目に蹴りたいと。PKは練習していましたし、自信もあった。最初にしっかりと決めて、チームに良い流れを生み出したかったんです」
円陣が解かれると、ペナルティスポットに向かった。そこに転がるボールを足でぽんと浮かせてキャッチし、慎重にセットする。すでに蹴るコースは決めていた。
「右上へ。真ん中にインステップでズドンというのも考えましたけど、芝が少しぬかるんでいたんです。インステップで思いっきり蹴る場合、軸足が滑る可能性がある。だから、軸足に体重を乗せすぎないようにしながら、右上に強いボールを蹴ろうと。練習で、良い感覚もあったコースで、自信もありました。でも……」
右足のインフロントで蹴ったシュートは、ゴール“右下”へ飛んだ。ここにクロアチアのGKドミニク・リバコビッチがダイブ。弾き出されたボールは、南野の目の前を力なく転がっていった。
ロッカールームへ戻ると、膝を抱えたまま動けなくなった。