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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「岡田監督は“俺が助けてやる”という親父」“イチローに学んだオリ阪神OB”平野恵一が語る名将論「中嶋監督は選手の好き嫌いではなく…」
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/26 17:00
オリックス時代、阪神時代の平野恵一。現在は台湾の球団でその経験値を生かして指導している
「オリックスに入ったときは、速い真っすぐをとらえることを意識したんです。ちっちゃい体だけど、甘く来たら強打する。そんな戦略を持っていました。基本的には広く、強く、広角に打てるようにする。プロになるまでそんなにバントしたことがない選手でしたが、オリックスではチームで一番バント練習をやりました。〈自分が失敗したら、俺に代わる奴はいない〉くらいに思って。サインもいっぱい出る。そこで成功する。一番練習しているし、試合でも数やっているからという責任感と自信は意識していました」
岡田監督は任せとけ、という「親父」タイプでした
平野氏はオリックス、阪神時代に様々なタイプの指揮官と出会っている。それぞれのエピソードを聞くと、名将ぶりが浮かんで見えてくる。
「オリックスの仰木彬さんは忘れられない監督の一人で、しっかり選手を見ている。対戦成績が悪かったら『今日は出なくていい』と言うんです。『いや、今日は調子がいいんです、好調です』と返すと『お前、調子崩すぞ、知らないぞ』と言われた。『チームのために出たいです』と言って出た結果、5打席打てなくて『監督すみません、次から従います』ということがありましたね。
岡田彰布さんは、僕を阪神に引っ張ってくれた監督ですが『俺の言うこと聞いてれば大丈夫』という感じでした。指示するけど、指示がなかったら自由にやっていい。失敗してもいい。全部俺が助けてやる。そういう〈親父〉でした。でも勝手にバントとかしたら怒るんです。〈チームのこと考えているなら、勝手にいらんことするな、俺に任せとけ〉、という感覚でした。だから岡田監督の下で、僕たちは自信をもってプレーをしていました。一生懸命やりさえすれば、助けてくれるし、選手を守ってくれるんです」
中嶋監督は「先見の明がある」
そんな岡田采配は、1985年以来となる日本一となった今季にも見えたと平野氏は語る。その象徴は、同じ二塁手である中野拓夢のショートからセカンドへのコンバートだと見ている。
「中野君は入ってきたときから打撃センスがありました。課題は守備、特にスローイング。そこの不安を取ってあげた。岡田監督は解説者のときから試合をしっかり見ていて、チームのバランスを考えて適材適所を見抜く力もありますし、中野君に自信を持ってプレーさせてあげられる環境を作ったんじゃないですかね」
さらに中嶋監督とも接する機会があり、監督としての資質を感じたという。