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「あごが外れて…ぶらんぶらんと」161cmの伝説的ボクサーが“ボコボコにされた”世界戦「普通の人なら失神している」八重樫東の衝撃
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byYuki Suenaga
posted2023/12/24 11:03
世界3階級制覇を成し遂げ、2020年に引退した八重樫東。現在は井上尚弥のフィジカルトレーナーを務める
「今思えば、もう無理です、と言えばよかったのかもしれないけど、当時は自分自身で諦めるという選択肢がなかった。試合を止められない限りはやるしかないと思っていたので」
医師が言った「普通の人なら失神している」
中盤から口を半開きにしたままファイトを続行した。12回を闘い抜き、大差判定負け。病院へ直行し、そのまま入院した。下あごの骨折。医師からは「普通の人なら痛みで失神している」と言われるほどだった。手術を受け、口を閉じた状態で針金を入れられ、動かないように固定された。
「ボコボコにされて、しかもこういう状態で『負けちゃったんだなあ……』と思いましたけど、あまりガクッとはしなかったですね。東洋太平洋のベルトを返上していたので、また日本王者を狙っていこうという感じでした」
「引退した方がいいんじゃないか?」2度目の世界戦まで
だが、再起2戦目で敗れ、さらにけがの試練が訪れる。右肩、腰、ヒザ。動いたらすぐに痛くなり、長時間の練習ができない。日本ミニマム級王座を獲得し、2度目の防衛戦前のことだった。スパーリングをできない八重樫を見るに見かね、大橋が言った。
「試合中止にしようか……。もう辞めた方がいい、引退した方がいいんじゃないか」
客観的に見れば、リングに上がれる状況ではなかった。しかし、八重樫は首を振る。引退は一切考えなかった。それはプロになった動機にも由来する。岩手・黒沢尻工高時代にインターハイ、拓大時代に国体を制したとはいえ、決してずば抜けたアマチュア選手ではなかった。国際大会に出たこともなければ、全日本選手権を制したこともない。
「世界チャンピオンになろうと思って大橋ジムに入ったんじゃない、って言ったら会長に怒られますけど。僕、自分に自信がない人間だったんで……。ただボクシングが好きで競技を続けたいからプロになったんです」
身長161センチ。小さい身体でも階級制スポーツのボクシングならば好成績を収められた。大学卒業後、競技を続けるためには自衛隊に行くか、プロになるかの二つの選択肢しかなかった。だが、アマチュアでは4戦4敗でのちの世界王者になる五十嵐俊幸が大きな壁になっていた。
「自衛隊に行ってもアマには五十嵐がいるし、アイツには勝てない。だったらプロに行くしかなかったので」
そんなプロ生活でも、けがで何度もブランクをつくり、「八重樫はもう終わった」「下り坂」と厳しい声が耳に入ってきた。ところが、日本王座3度目の防衛後、世界挑戦の話が舞い込んできた。相手はタイのWBAミニマム級王者ポンサワン・ポープラムック。あごを折られた最初の世界挑戦から4年4カ月が経っていた。