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大谷翔平、野茂英雄、黒田博樹…ドジャースは、なぜ日本人選手をよく獲得する?「ひとりの用具係」から“絆の物語”は始まった
posted2023/12/19 06:04
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph by
AFP/JIJI PRESS
空前の「大谷争奪戦」を制したのは、日本と最も縁の深い名門ドジャースだった。
今オフ、エンゼルスからFA(フリーエージェント)となっていた大谷翔平が、複数球団による競合の末、新天地として名門ドジャースと10年総額7億ドル(約1015億円)の巨額契約を交わした。移籍決定後の大谷は、自らのSNS上で発表してわずか3日後の米国時間12日には、オリックスからポスティング制度で米移籍を目指す山本由伸との交渉に同席。同じ日本人として、一緒にプレーしたい思い、常に世界一を最優先に掲げるドジャースの魅力を伝えたものとみられている。
野茂英雄から大谷翔平まで
日本人メジャーのパイオニアとして知られる野茂英雄から、大谷翔平まで――。
日本球界との間で歴史を築き続けてきたドジャースにとって、今回の大谷との契約は、新たな時代の幕開けでもあった。
1995年。現行のポスティング制度をはじめ、日米間の移籍に関するルールが整備されていなかった当時、近鉄に在籍していた野茂英雄は、周囲の痛烈な批判を浴びながらも、自らの意志を貫き、太平洋を渡る決断を下した。当時は、MLB選手会がストライキに突入し、球界全体が混乱する状況下だった。それでも、実力が未知数の野茂を快く迎え入れたのがドジャースだった。
門戸開放、ドジャースの姿勢
野茂の移籍から来年で30年目を迎える。今や、メジャーの全30球団に日本人選手が所属経験を持つ時代となった。だが、MLB機構が率先して推進してきたわけではない。日本球界とのパイプ役を担い、その先陣を切り続けてきたのは、かつて人種差別の壁を崩し、メジャーで初めてアフリカ系アメリカ人のジャッキー・ロビンソンに門戸を開いたドジャースだった。