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胃がん告白の藤井直伸に「俺はもう一回藤井のトス打つで」…31歳で亡くなった名セッターと清水邦広の絆「僕らの前では弱音は一切吐かずに…」
text by
清水邦広Kunihiro Shimizu
photograph byGetty Images
posted2023/12/14 11:04
東京五輪で共闘した清水邦広(1番)と藤井直伸(3番)。2019年の代表合宿で意気投合した2人は“サウナ友”でもあった
「お前がよくなるまで、オレもずっと現役続けるから」
3月10日、藤井が亡くなったことを知りました。
信じられなくて、受け入れられなくて、ポカーンという感じでした。でもそれまで、奇跡的に何度も持ち直していたという経緯を聞いていたので、「藤井、めっちゃよく頑張ったな」と、空を見上げながら思いました。心にぽっかりと穴が空いて、寂しくてたまらなかったけど。
その直後の週末は、僕も東レの試合が気になって、自分の試合が終わったらすぐに東レの試合をインターネットで観ました。12日の試合で東レが堺ブレイザーズに勝ってシーズン21勝目を挙げ、藤井の背番号「21番」のユニフォームを掲げている姿を見て、僕も泣きました。
お通夜に参列させていただいたんですが、本当にたくさんの方々が来ていて、藤井らしいお別れだなと思いました。
藤井の顔を見た時、いろんな感情があふれてきました。「よく頑張ったな」という思いが一番でした。でもその時、なんだかしんみりしたお別れをしてしまったことが心残りで。今までじゃれあって、ふざけあって、楽しい話ばかりしてきたのに。だから立ち去ることができず、外で最後まで待って、他の選手たちと一緒にもう一度会いにいきました。
みんな泣き笑いしながら、「いい顔してるな」「でも起きる時間やで!」などと口々に藤井に声をかけてお別れをしました。しんみりとお別れするより、みんなで輪になって藤井を囲んで話しながら、笑って送り出せたのはよかったんじゃないかなと思っています。
藤井の病気がわかった時、僕はこう言いました。
「お前がよくなるまで、オレもずっと現役続けるから、またトス上げてな。絶対、それ打つから!」
それは叶わなかったですけど、藤井は頑張ってくれました。つらい中でもみんなに元気をくれて、僕らの前では弱音は一切吐かずに、ずっとニコニコしていました。
彼は練習中も試合中も、一番喜んで、声を出してくれていたけど、コートの中だけじゃなく、人生を通していつも、やってくれていたんですよね。
いつか僕にもお迎えがきて藤井に会えたら、しっかり藤井のトスを打ちたいと思っています。
<第1回、2回から続く>