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三笘薫は「こだわりすぎて食堂の人も困ってた」? “破格オファーを蹴った男”小林悠36歳が明かす“あの代表選手たちのフロンターレ時代”
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/12/08 11:02
長く“川崎フロンターレ一筋”で活躍する小林悠。過去には複数クラブから破格のオファーを受けたこともあったが、残留という答えを選んだ
まだ荒削りな印象のある山田については、ストライカーらしいがむしゃらな姿勢を買っている。
「シンはプロ1年目で頑張ってくれたと思います。馬力でチームを引っ張ってくれて、苦しい時のスピードだったり、体の強さでかなり助けられた。まあ、もうちょっとうまくならないとダメだけど(笑)。伸び代はすごくありますよ」
「なぜ川崎に残ったのか?」破格オファーを断った理由
チームが新陳代謝をしながら前に進んでいく中、小林は川崎フロンターレのユニフォームを着続けてピッチに立っている。クラブ在籍歴は14シーズンとなった。登里享平と安藤駿介に次ぐ、3番目の長さだ。
過去にはJ1の複数クラブから破格とも言える金額のオファーを受け、夜も眠れないほど思い悩んだ時期もあった。2016年終盤のことである。「人生で一番悩んだ」と明かした末の決断だったが、それでも最終的には慣れ親しんだクラブのエンブレムを着けることを選択した。
当時の決断についても、聞いてみたいと思った。あのとき、いちばん大事にしたことは何だったのか。
小林は「なんだろうなぁ……」とじっと考え込んでから、率直に言葉を紡いだ。
「やっぱりイメージすることですかね。自分がどうなりたいのかをしっかりイメージすること。他のチームに行った自分をイメージした時に、なんだかピンとこなかったんです。お金のことを考えたら、移籍した方がよかったと思いますけど、どこでタイトルを獲りたいのかと想像したり、どこでプレーしてる自分が一番楽しいのかと想像した時に、フロンターレが真っ先に浮かんだ。家族やサポーターの顔も含めて、イメージが一番具体的かつ鮮明に現れたのがフロンターレだったので、そこが全てかなと思います」
この決断には“最高のご褒美”が待っていたことを付け加えておかねばならない。
残留を決めた翌2017年にはキャプテンとなり、クラブを悲願の初優勝に導いている。自身は得点王とMVPをダブル受賞。「残留すると決断した自分を大褒めしてあげたいですね(笑)」と表情をほころばせた。
J1通算得点数は三浦知良と並ぶ歴代7位の139得点に到達しているが、小林が記録したゴールは全て川崎フロンターレで積み上げた数字である。J1通算で100得点以上を記録している選手の中で、ワンクラブマンを貫いているのは、現状で彼だけだ。
点取り屋としてゴールを奪う職人は、得点力不足に悩むクラブにその技術を必要とされ、あるいは自らその機会を求めて幾つかのクラブを渡り歩くキャリアを刻んでいくことが圧倒的に多い。
だが、たった一つのクラブでゴールを奪い続けていく生き方もある。そんなストライカーの美学を、小林悠は教えてくれている。
<続く>