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野村克也「チームに迷惑だ」批判された選手のボイコット…名将はなぜ阪神で苦しんだのか? 致命的だった“誤算”「(次は)星野がいいと思う」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2023/11/28 11:01
1999〜2001年、まさかの3年連続最下位で辞任。阪神時代の野村克也の苦闘とは
野村就任以来、阪神を取り上げる媒体が激増した。春季キャンプの初日には前年の倍以上の260人もの報道陣が集まった。長嶋茂雄監督の巨人や黄金ルーキー松坂大輔の西武よりも多く、12球団で1位だった。
野村監督1年目「序盤の快進撃」
野村はヤクルト時代と同じように、夜のミーティングで「人間とは」というテーマから話し始めた。シーズンに入っても、野村の講義は毎日続いた。試合前の打者ミーティングでは狙い球の絞り方、バッテリーミーティングでは初球の入り方などを徹底的に指南した。三宅が振り返る。
「それまで阪神のミーティングはワシ任せだった。コーチもあまり話さなかったし、監督は出てこない。でも、野村さんは必ず参加していた。まずスコアラーの話を聞いて、そのあと自分が感じたことを話していた」
効果はすぐに出た。99年、開幕カードの巨人に勝ち越し、4月7日の広島戦では星野修が2ランスクイズを決めた。野村が「チームプレーの意識が一番出やすい」という走塁に改善が見られた。6月9日には吉田豊彦、福原忍、リベラのリレーで広島を破って6年ぶりの首位に立つ。12日には新庄剛志が巨人・槙原寛己の敬遠球をサヨナラ打。100万円の『純金製ノムさん像』が売り切れるなど大フィーバーが巻き起こっていた。
「野村監督になってから、スコアラーは見逃しでも“違うボールに山を張っていた”“前の打席で打ち取られたから手を出さなかった”などの分析を加えた。一度、『巨人打線はヤクルトにこの攻め方で打ち取られました』と報告したら、『ヤクルトと阪神の投手のスピードやコントロールの違いも考えた上で対策を立てなあかん』と言われた。常に“活きるデータ”を求められた」
大豊を名指しで批判→ボイコット事件
快進撃の裏で火種も燻り始めていた。野村のコメントは毎日、大々的に報道されていた。特に、大振りの目立つ大豊には厳しかった。春季キャンプでは「あいつのストライクゾーンは2階から地下3階まである。四球嫌いが一番の原因や」と諭し、オープン戦では「チーム優先主義を口すっぱく言っているのにわからんのかな」と辛辣に当たった。4月21日の横浜戦前のミーティングでは「10年前と変わっていない。ボールを振るのはチームに迷惑だ」と名指しで批判した。