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「紗理那が選ばれればよかった」7年前の“衝撃発言”の本音とは? 石井優希が“ライバル”だった古賀紗理那に“闘争心”を抱かなかった理由
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2023/11/26 11:00
同じアウトサイドヒッターとして高め合った古賀紗理那(左)と石井優希。キャプテンとして奮闘する古賀にエールを送った
五輪のメンバー選考は特に熾烈だ。五輪予選を含め、普段の国際大会はベンチ入りメンバーが14人なのに、五輪は12人に絞られるからだ。
リオ五輪前年の2015年のワールドカップで、当時19歳だった古賀は、長岡望悠(久光)に次ぐ得点を奪う活躍を見せ、次世代エースと期待を集めた。ただ2016年5月に行われたOQTでは調子が上がらず、大会後半は石井が起用される試合が増えた。
その後、発表されたリオ五輪メンバーの中に古賀の名前がなかったことは驚きだったが、古賀の代わりに石井が入った、ということではなかった。当然他のスパイカーとの競争でもあったし、当初12人の中のウイングスパイカーの枠は(オポジットを含めて)6だと思われたが、それが5になり、残る1枠にリベロの座安琴希がレシーバーとして入った。そうした構成も含め、眞鍋政義監督が頭を悩ませた末の判断だった。
だがリオ五輪後に石井が、「みんな、私じゃなく紗理那が選ばれればよかったと思っていると思う」とつぶやいたことがあった。その言葉について今、改めて聞いた。
「自分に自信がなかったというのが一番で……。実はオリンピックの直前に太ももの肉離れをしてしまって万全ではなかったというのもあるし、試合ではサーブレシーブなどで足を引っ張ってしまった。基本的に私は考えがネガティブなので、周りがどう思っているんだろうということばかり気にして、エゴサーチしてみたり(苦笑)。そうするとやっぱりマイナスな書き込みも多くて、自ら気持ちを沈ませてしまっていたというのがありました。
紗理那はOQTではあまり調子がよくなかったかもしれないけど、トータルでは、15年のワールドカップもずっと出て活躍していましたし、私も紗理那が落選することが意外すぎたので、どうしても『紗理那のほうが』という考えになってしまっていましたね」
ライバル意識よりも“リスペクト”
そうした思いに苛まれることは苦しかったが、古賀に対しては当時からライバル意識ではなく、純粋なリスペクトしかなかったという。
「紗理那はうまいし、人とのコミュニケーションの取り方もすごく長けている。コートの中ですごく話すし、考えてプレーしているなというのが伝わるので、尊敬するところがすごく多かった。『紗理那だけには負けたくない』みたいな闘争心は一切なくて(笑)。できることなら一緒に対角を組んで頑張りたいなと思っていました」
古賀も石井を慕っており、よく「優希さんと対角を組みたい」と口にしていた。
「そう言ってくれていたのは素直に嬉しかったですね。ただ、紗理那は頑張っていましたけど、私がなかなか(苦笑)。出場機会があまりなくて、一緒に出場することは少なかったんですけど」