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「ヒクソン・グレーシーとも親交があるんだ」日本人女性指導者が在籍…ブラジル柔道NGOの愛がスゴい「JUDOの哲学、精神性に魅せられた」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2023/11/25 18:38
施設内の道場で、市内の柔道大会に出場して獲得したメダルを手に
「家の近所にあった道場で、ジェラウド・ベルナルデスに柔道を習い始めた。彼は、技術も人間性も素晴らしい偉大な指導者だった(注:1979年から2000年まで21年間、ブラジル柔道男子代表の監督を務め、6度の五輪で2個の金メダル、3個の銀メダル、4個の銅メダル獲得に貢献している)。他のスポーツとは異なる柔道の哲学、精神性に魅せられた」
――14歳で柔道を始めたというのは、世界のトップを目指す選手の中では例外的に遅いですね。
「その通り。最初は、単なる趣味のつもりだった。当時、私は帰国子女ということもあって学校でいじめにあっていた。しかし、柔道を始めたら、いじめを受けなくなった。何とも不思議だったが、私の中で何かが変わったらしかった。
ジェラウド・センセイは、寝技の達人だった。彼の影響で、私も寝技を徹底的に練習した(注:藤井裕子さんは、「日本選手も寝技は強いが、フラビオはそれ以上に強かった」と語る)。
ヒクソン・グレイシーとも親交がある
――その甲斐あって、メキメキと強くなったわけですね。
「1995年、柔道を始めてまだ6年の20歳で初めてブラジル代表に選ばれ、アルゼンチンで行なわれた国際大会の男子78kg級に出場し、銅メダルを獲得した。その後、階級を81kgに上げると、さらに良い結果が出るようになった」
――柔術の練習もしたそうですね。
「寝技の研究の一環として、柔術も学んだ。ブラジリアン柔術で有名なグレイシー一家とも親しいんだ。総合格闘家として日本でも非常に有名なヒクソン・グレイシーとも親交がある」
――そして2000年、恩師ジェラウドさんと共に、リオのスラム街で柔道を通じて貧しい家庭の子供たちに教育を授ける道場を立ち上げ、3年後、それがNGO「レアソン」へと発展します。
「貧困層の子供たちの大半は、義務教育を終えるか、しばしばその以前から働き始める。高校へ進学するのは困難で、大学へ行くなんて夢のような出来事だ。しかし、柔道の大会で良い成績を残したら、奨学金をもらって高校や大学へ行ける。これは、貧困家庭の親と子供にとって大変なことなんだ。さらに、国内トップクラスになれば、事実上のプロ選手として生計を立てることができる。
仮に柔道選手として成功できなくても、我々は学業の手助けもするから、学校で学んで定職に就き、立派な市民として幸福に暮らしていくことができる。
本部がロシーニャ(注:人口約10万人の世界最大級のファベーラがある)にあり、現在では5州に13の支部があり、4000人を超える青少年が柔道の練習に励み、補習授業を受けている」
畳の上でも外でも、黒帯の人材を育成する
――ブラジルは、超富裕層からその日暮らしの極貧層まで、経済格差が非常に激しい国です。このような状況で、中流以上の人は下の階層の人のことなど考えず、自分たちの社会的な上昇だけを考える人が多い。あなたは、富裕層のエリート一家に生まれ育ったのに、なぜ貧しい家庭の子供たちを助けようと考えたのですか?