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「ヒクソン・グレーシーとも親交があるんだ」日本人女性指導者が在籍…ブラジル柔道NGOの愛がスゴい「JUDOの哲学、精神性に魅せられた」
posted2023/11/25 18:38
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
ブラジルは、貧富の差が非常に激しい国だ。部屋が10以上ある豪邸に住み、高級車数台がガレージに並び、運転手、コック、掃除婦、乳母など大勢の使用人を雇って優雅に暮らす富裕層から、岩山の斜面に木材を組み合わせて屋根にトタンを載せたバラックを造って住み、少し強い雨が降る度に家が流されることを心配しなければならない貧民まで、人々の経済状況は千差万別だ。
裕子さんが教える柔道NGO創設者は銅メダリスト
フラビオ・カントは、父親が原子物理学者で、生まれはオックスフォード。父親がオックスフォード大学で博士課程を履修していたときに生まれたからだ。その後、アメリカ・カリフォルニア州へ移り住み、12歳のときブラジルへ帰国。一家はリオの高級住宅地に落ち着いた。ブラジルで上位数%に入るであろう富裕層にしてエリート一家の出身だ。
水泳やサーフィンに夢中になったが、14歳のとき、ジェラウド・ベルナルデスというブラジル柔道男子代表の監督の道場に通い始めた。たちまち柔道の奥深さに魅了され、猛練習を積み、やがて国内トップクラスの選手となった。
ブラジル代表として国際大会にも出場するようになり、2004年アテネ五輪の男子81kg級で銅メダルを獲得した。
その一方で、2000年、リオのスラム街でジェラウドと共に貧しい家庭の子供たちに無償で柔道を教え始める(注:2003年、正式にNGO「インスチトゥート・レアソン」=以下、レアソンを設立した)。
このとき柔道を習いに来たのが、ラケルとラファエラのシウバ姉妹だった。2人が生まれ育ったのは、ブラジル映画「シダージ・ジ・デウス」の舞台となったリオ有数の危険な地域。気性が荒く、子供時代に男の子たちと喧嘩ばかりしていたことから、父親が「喧嘩をする時間をなくすために柔道を習わせた」という。
ラケルは練習熱心だったが、ラファエラは練習になかなか身が入らず、コーチたちも手を焼いた。しかし、結果的にラファエラは大成し、2016年リオ五輪の女子57kg級優勝の偉業を成し遂げる。
他のスポーツとは異なる柔道の哲学、精神性に魅せられた
藤井裕子さんも、2013年5月にブラジルへ渡って男女代表の技術コーチに就任すると、ほぼ時を同じくしてレアソンでボランティアとして選手たちを指導。ブラジル柔道連盟を離れた今年7月から、正式にコーチとして指導している。そのレアソンを立ち上げたフラビオに、じっくりと話を聞いた。
――柔道とのなれそめは?