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“育成の星”《オリックス・東晃平》恩師が語る「超マイペース高校時代」スカウトが見守る中で「普通は思い切って直球を投げる。でもアイツは…」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byJIJI PRESS
posted2023/10/20 17:00
育成出身ながら今季は負けナシの6勝を挙げ、オリックスのリーグ制覇にも貢献した東晃平。初のCSではどんな投球を見せるか
だが、当時の胸中を岡本監督が明かす。
「支配下もある……と言われながらも指名がなくて不安でしたが、育成で指名していただいた。嬉しさもありましたが、当初は本人の性格も踏まえて、広島のような厳しい環境下で鍛えてもらった方がいいのでは、とは思いました。当時のオリックスは今のように、そこまで投手がどんどん出てきていなかったのと、自分の先輩がオリックスでプレーしていたことがあったんですけれど、どちらかというと”自主性重視”のイメージがあったので大丈夫かなと。東がちゃんと自分で自分を追い込めるのかなぁ……という心配の方が正直ありました」
1年目は主に体作りに徹し、2年目はウエスタン・リーグで19試合に登板し、5勝7敗の成績を残す。3年目はコロナ禍により登板機会が少なかったうえ、右肩、右ヒジをケガした影響もあり、登板は6試合に留まった。育成選手は3年目で規約により自由契約となるが、育成で再契約した4年目は18試合で5勝9敗とまずまずの成績を残す。9月下旬に試合中に打球が右腕に当たり骨折するというアクシデントにも遭ったが、コンスタントに経験を積んでいた。
プロ入り後数年は…岡本監督の懸念が的中!
ただ、プロとなって3、4年目は指揮官の懸念が的中していたという。
「冬には必ずグラウンドに帰ってくるんですけれど、3年目までは本当にチャラついていましたね(苦笑)。帰省する2週間だけ金髪にするとか、学生気分みたいなところもあって、やっぱりな……というのはありました。
本当に変わったなと思ったのは一昨年の冬くらいです。大人の会話ができるようになったというか、野球の話をちゃんとするようになったんです。iPadを持ってきてツーシームを覚えたんですって動画を見せてくれることもあったし、何より、体がすごく大きくなっていたんですよ」
神戸弘陵では毎年年末に恒例行事となっている淡路島合宿がある。一昨冬に東から連絡があり、室内練習場に自主練習をしに来たことがあった。