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“育成の星”《オリックス・東晃平》恩師が語る「超マイペース高校時代」スカウトが見守る中で「普通は思い切って直球を投げる。でもアイツは…」
posted2023/10/20 17:00
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by
JIJI PRESS
東晃平が3年夏の大会を控えた6月だった。
「多くのプロのスカウトが見に来ることになった練習試合があって。東を先発させたんですけれど、プロに行きたいのなら普通ならいいところを見せてやろうって思い切り腕を振って初球からストレートを投げるじゃないですか。なのにアイツ……いきなりカーブを投げたんですよ(笑)。ひょうひょうとしているというか、マイペースというか」
岡本博公監督は、そう話すと苦笑いを浮かべた。
「超」マイペースだった東の高校時代
良い言い方をすれば芯がブレないイマドキの高校生。違う表現をすれば周囲に無関心、マイペース。当時の東をひと言で言い表すとすると、そんな高校球児だった。
東は2年春からエース番号を背負うなど早い段階からマウンドに立ってきたが、中学時代は学校の軟式野球部に所属し、高校入学時もそこまで目立った存在ではなかった。
岡本監督は言う。
「お父さんが神戸弘陵のOBという縁もあったのですが、体育コースの若干名の募集で急きょ入学を決めて入ってきた子なんです。入学時、骨が成長の途中だったことが分かって、1年秋まではトレーニングばかりやっていました。ほとんど投げさせず、ブルペンにも入れていないですね。かと言って専用のメニューを組んでいた訳ではなく、普通に他の部員と一緒にキャッチボールもしながら体作りをしていました」
その後、少しずつ実戦練習を取り入れていき、1年秋に近くの公立高校との練習試合で対外試合初登板を果たす。すると、対戦相手の監督から「あの子、めちゃくちゃいいピッチャーやね」と褒められたのが東だった。
「当時の東は力感のないきれいなフォームで、特別にこちらから教えた訳ではなかったのですが、楽天の岸(孝之)投手のような、ヒジの使い方に天性のものがありました。140kmでも真っすぐで空振りが取れる。こういうヤツがプロに行くんやな、という雰囲気はありましたね。
そこに同じ腕の振りで来るスライダーもあって、この2種類で勝負できると思いました。凄いなというスピードはないのですが、簡単に追い込んで、簡単に三振が取れる。狙うよりも追い込んだらすんなり三振が取れるんですよ」