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プレーオフ中に「妻の出産のためチームを離れたい」ロッテ・バレンタイン監督は今江敏晃の“産休”を許可した…ボビーマジック18年目の真実 

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ボビー・バレンタイン&ピーター・ゴレンボック

ボビー・バレンタイン&ピーター・ゴレンボック"Bobby" Valentine&Peter Golenbock

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/10/15 11:00

プレーオフ中に「妻の出産のためチームを離れたい」ロッテ・バレンタイン監督は今江敏晃の“産休”を許可した…ボビーマジック18年目の真実<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

ボビー・バレンタインが起用し続け、花開いた今江敏晃。じつはプレーオフ中に妻の出産に立ち会いたいと監督に相談していた

 1年目の成績は65勝65敗だった。それまでの年よりも良い成績になり、2005年は、はるかに上の域に達した。オーナーは私に球団を託してくれて、スムーズに事が運んだ。

 ファンが再び球場に足を運んでくれるようになり、観客動員記録を更新した。私はユニフォームのデザインを少し変え、黒いビジター用ユニフォームに色を加えて帽子をクリエイティブなデザインにした。1995年に日本を離れたとき、2万人のファンが私の残留を求めて署名をしてくれていたから、彼らのために何かしたかった。署名活動を始めてくれたのは、ライトスタンドで組織だった応援をする「応援団」だった。

 私はユニフォームデザインを変えたことに加え、ファンが26番目の選手であるという意味を込め、広報部の助けも借りて背番号26を欠番にした。

ボビーが推し進めたボールパーク化

 私は、ファンのためにもっと何かしたかった。我々の球場は郊外に建つ3万席弱の小さなスタジアムだった。大都市にあるほとんどの球場のように徒歩ではアクセスできず、そこに行くことを目的にしなければならない孤立したスタジアムだったので、試合の前後にファンが楽しめることを始めた。それまでは行われていなかった、子供たちがベースを一周できるイベントを開いた。両親も一緒にグラウンドに降り、選手と一緒に写真を撮り、サインももらえる企画も立てた。これも初めての試みだった。

 アメリカでは球場の外のフードコートが人気となり広まっていたが、我々も食べ物の屋台をスタジアムの外周に沿って並べた。球場の外にステージを作り、試合の前後で歌のイベントなどができるようにした。試合後には選手が特別出演し、ファンと一緒に歌うこともあった。

 日本では内野席にもネットが張られているが、私はその一部を取り外し、ファンと選手の距離を縮めてみた。

ハマーに乗るTSUYOSHI、21歳

 また、私は才能ある若手選手を一軍で育てるという、日本らしくない手段を講じた。西岡剛はまだ21歳だった。彼はスイッチヒッターの遊撃手で、三塁手の今江敏晃と共に、我がチームでいつも笑顔で全力プレーをする若手選手の代表格となった。西岡は酒を飲まなかったが外交的で、いいタイミングで様々な場所で姿が目撃されていた。各テレビ局が彼を出演させたがった。

【次ページ】 今江が監督室に来て伝えた“産休”の希望

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