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バレーボールPRESSBACK NUMBER
「スパイク、打たせてください」と監督に直訴も…バレーボール日本代表の「初代リベロ」西村晃一が歩んだ“異端”の道〈セリエAドタキャン →ビーチ転向〉
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byKoichi Nishimura
posted2023/10/12 11:02
50歳にして現役選手として鍛錬を続ける西村晃一
日本代表の「初代リベロ」
京都府出身で中学時代に全国優勝すると、花園高校でも春の高校バレーで優勝。立命館大からNECに進み、Vリーグでも頂点に立った。輝かしい成績である。西村の名がさらに知れ渡ったのは1998年だった。
この年からバレー界は守備専門のポジションであるリベロを創設した。その初代として日本代表に選ばれたのである。
「僕はパスを針の穴に通す、という考えで小中学生の頃からやってきました。チャンスボールはピタッと1cmも狂わずに返すという意識でやってきているんです」
抜群のバレーセンスを誇った。99年のアジア選手権ではシドニー五輪出場こそ逃したが、ベストディガー賞を受賞。着実にキャリアを積み上げると海外も黙っていない。イタリア、ブラジル、フランス。バレーの本場からオファーが届き、ヨーロッパ最強と言われたイタリア・セリエAの強豪シスレー・トレビゾへの入団を決めた。
だが、契約日にキャンセルした……。
西村がリベロであることをやめた日だった。のちに、加藤陽一が日本人初のセリエA移籍を果たしてメディアに騒がれたが、それより前に西村が“セリエA選手”になる可能性があったのだ。日本代表、海外トップアスリートの地位も名誉も捨てた。誰もが羨むステータスなのに、ためらいはなかった。
前代未聞の「ドタキャン劇」の真相
「異端」たるゆえんは、このあたりから来るのだが、彼を前代未聞の「ドタキャン劇」に突き動かした根底には、バレー人生につきまとうコンプレックスがあった。
「今まで、自分の中で一番、反骨精神を持ってやってきたのは身長です。小さくても大きい選手を負かすんだという思いで、ずっと来ています。背の高い選手を飛び越えるためには、彼らに合った高さを持つしかない。一番早い解決策が、跳ぶことだったんです」