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「スパイク、打たせてください」と監督に直訴も…バレーボール日本代表の「初代リベロ」西村晃一が歩んだ“異端”の道〈セリエAドタキャン →ビーチ転向〉 

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酒井俊作

酒井俊作Shunsaku Sakai

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photograph byKoichi Nishimura

posted2023/10/12 11:02

「スパイク、打たせてください」と監督に直訴も…バレーボール日本代表の「初代リベロ」西村晃一が歩んだ“異端”の道〈セリエAドタキャン →ビーチ転向〉<Number Web> photograph by Koichi Nishimura

50歳にして現役選手として鍛錬を続ける西村晃一

 98年に日本代表に入った西村は、ずっとジレンマを抱えながらプレーしていた。試合になると目の前では中垣内祐一や荻野正二、青山らが競い合うように軽やかにジャンプし、スパイクを決めていた。自身はサーブやレシーブを拾い、攻撃の起点としての役割を果たしていた。勝てばうれしいが、どこか空虚な思いを消せないでいた。

 高く跳んでスパイクを打つのは、バレーボールを始めた頃、誰もが心躍る原点だろう。だが、リベロだけが攻撃に参加できないポジションであり、その役割を担う者は、どこかでスパイクを打つという行為を諦めなければいけない。

「スパイク、打たせて」監督への直訴は…

 西村はある時、監督に直訴した。

「スパイク、打たせてください」

 容れられるはずがない。リベロもまた、拾って繋ぐ日本の伝統バレーを体現する重要な役回りである。

「何、言ってんだ。お前はリベロだろ」

 どこか、自分が自分ではなくなっていくような気がした。西村は日本代表としてのやりがいとバレーボール選手としての生きがいを天秤にかけた。だから、あの日、リベロとして生きることをやめた。

「ずっと抱いてきた自分の思いを消されるという矛盾がありました。いかに大きい選手を負かすかだけを考えてプレーしてきたのに、今までやってきたことが自分の中で終わってしまうと自問自答した時に“やっぱり打たないと”って思ったんです」

 人は大人になるにつれて、いろんなことに折り合いをつけて生きていく。初心は、いつの間にかどこかに置き忘れる。だが、西村は自分に嘘をつけなかった。

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