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「来年はアレではなくアベで」巨人新監督会見で阿部慎之助が「変わる」宣言…原辰徳監督から叱られた日「肩越しに話しかけるな」
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byJIJI PRESS
posted2023/10/09 17:00
就任会見に臨んだ巨人・阿部慎之助新監督
「まず自分が変わって、そうすれば選手たちも僕を見ているはずです。そこからがまずスタートだと僕は思っております」
阿部新監督の誕生が報道されて、一部メディアでは二軍監督時代の様々な出来事が蒸し返されてもいる。
2019年に現役を引退し、指導者の道を歩み出した阿部新監督は20年から2シーズンに渡り二軍監督を務め、若手の指導に当たった。
指導者としてスタートを切った阿部二軍監督は、自らがそうやって育ってきたようにスパルタ方針で若手の指導にあたった。心身ともに練習でいじめていじめ抜く。そこから強い肉体と技術が養われ、強い精神が生まれるという、いわゆる“追い込み型”の指導だった。就任直後の20年3月にはプロアマ交流戦で早大に敗れると、選手全員に“罰走”を科したことが物議を醸した。ダルビッシュ有投手はこの“罰走”についてのファンのツイートに触れ、「2005年にはすでに日本ハムには無駄なランニングはなかった」と投稿。暗に阿部監督の指導法を批判し、これもまた話題になった。
また現役時代から親分肌でグアム自主トレを主催し、若手の面倒を見てきたこともあり、選手との距離が近すぎる、親しみを込めた言動がともすると誤解を生む一つの要因にもなっていた。
そうした二軍監督時代の指導には「昭和の指導者」「パワハラ指導者」と揶揄する声もあった。
ただ、それはすでに過去の話である。
その後の指導者・阿部慎之助の情報をアップデートしないままに、ただただ過去の出来事を書き連ねるばかりの報道は、むしろそういうメディアの質が問われるところだろう。
阿部監督は21年に二軍の全日程が終了後、一軍作戦コーチに配置転換され、翌22年は作戦兼ディフェンスコーチ、そして23年はヘッド兼バッテリーコーチとして指導経験を積み重ねてきている。そうして経験値を高める中で、指導者としてももちろん成長してきている。
原監督からの教え
就任会見で原監督がこんなエピソードを明らかした。