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「ボールを持つと人が変わる」“シャイな爆速ウイング”ジョネ・ナイカブラの愛され秘話…“無印”だった留学生がラグビー日本代表になるまで
posted2023/09/28 17:08
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
Kiichi Matsumoto
ラグビー日本代表でプレーする外国出身の選手は、留学生として来日するケースが少なくない。4大会連続出場のリーチ マイケルは札幌山の手高校を経て東海大学に進み、在学時に日本代表入りした。チリ戦で2トライをあげたアマト・ファカタヴァは、20歳で来日して大東文化大学ラグビー部の一員となり、卒業後も日本でプレーを続けている。同じくチリ戦でトライをあげたワーナー・ディアンズは、社会人チームでコーチを務める父親とともに中学2年生で来日した。
「ゼロか100しかない選手」だった学生時代のジョネ
ここまで2試合に先発出場しているジョネ・ナイカブラも、大阪の摂南大学の留学生として日本にやってきた。スピード豊かなウイングはフィジー出身ながらニュージーランドの高校でラグビーに打ち込み、7人制の高校代表に選ばれた。日本の大学でも注目を集めていいはずだが、4年生になっても進路が決まっていなかった。ほとんど無印と言っていい存在だったのである。
摂南大学ラグビー部の河瀬泰治監督(現ラグビー部部長・総監督)は、ジョネの進路を探るために古巣の東芝ブレイブルーパス(現東芝ブレイブルーパス東京)に連絡を取る。河瀬からの相談を受けたのは、リクルーターの望月雄太だった。
「河瀬さんから面白い選手がいると聞きまして、ジョネが4年生の春に練習試合へ行ったんです」
望月自身も東芝でプレーし、日本代表キャップを獲得した。日本代表最多キャップの大野均や代表でキャプテンを務めた廣瀬俊朗らとともに、トップリーグ3連覇を成し遂げた。リーチ マイケルの成長のプロセスには、東芝加入以前から触れている。トップレベルの選手を間近で見てきた望月にとっても、ジョネのプレーは衝撃だった。
「当時はゼロか100しかないような選手でした。いくときはもう全部100で、いかないときはいかない。自分のプレーをうまくコントロールして、80分戦うことのできる選手ではありませんでした。ただ、100のプレーのインパクトがもの凄い。これはちょっと面白いなと、直感的に感じました」