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「じつは暗黒時代も数十人飛び込んでいた」なぜ阪神ファンは道頓堀ダイブする? “異常だった”20年前5300人飛び込みでトラブル、逮捕者&死者まで
text by
鼠入昌史Masashi Soiri
photograph byMasashi Soiri
posted2023/09/23 11:04
筆者は優勝決定前に道頓堀、戎橋周辺を取材した
その下を流れる道頓堀川。だから、阪神が優勝しようがしまいが、昔から浮かれて飛び込む人は少なからずいたのではないか、と思う。わざわざニュースにならなかっただけのことだ。
1985年の阪神優勝は、21年ぶりというインパクトのある優勝でハメを外す人が多く、その象徴的なできごとのひとつとして道頓堀ダイブが取り上げられた、程度のものだったのだろう。近くのケンタッキーのカーネル・サンダース先生がバースと称して放り込まれたのも、“阪神優勝=道頓堀ダイブ”のイメージを形作ったできごとのひとつだろう。
1985年の優勝時、マスコミをはじめとする世間の道頓堀ダイブへの受け止めは好意的だ。好意的というか、「まあ、はしゃいじゃってねえ」くらい。生暖かいまなざし、というのが正確だろうか。21年ぶりの優勝ということで、同情のまなざしがあったのかもしれない。
じつは暗黒時代も飛び込んでいた
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その後、阪神タイガースは2003年の優勝まで長きにわたる暗黒時代に入る。そんな中でも道頓堀ダイブはたびたび起きている。たとえば、1992年。この年は珍しく阪神が最後までヤクルトと優勝を争った。亀山・新庄フィーバーのあの年だ。結局最後はヤクルトとの直接対決に敗れて優勝を逃すのだが、そのときにも500人ほどが戎橋の上に集まって、数十人がダイブしたという。
また、野村監督時代の1999年もシーズン序盤は好調で、一時は首位にも立っている。このときも、気が早すぎるダイブが数件起きた。阪神球団が飛び込まないようお節介な要請までしている。この年は最後には最下位に沈むのだが、ちょっと阪神が勝ち出すと道頓堀に飛び込む輩が現れる、というイメージはこの辺りから少しずつ醸成されていったのだろう。
サッカーで2000人がダイブした
だが、決定的になったのは阪神タイガースではない。