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ガリガリなジーコ少年が「サイボーグ選手」に…「体がみるみる大きくなり、筋肉も」クラブ世界一へと上り詰めた“肉体改造”とは
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沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byMark Leech/Offside-Getty Images
posted2023/09/24 17:01
1981年のジーコ。フットボール王国ブラジルで愛されるスーパースターは、どんなキャリアを描いてきたのか
「当時としては非常に先進的なフィジカル・トレーニングと戦術練習を課したクラウジオ・コウチーニョ監督がコンペティティブなチームを作ったが、わずかに及ばなかった。個人的には、完全なレギュラーではなかったものの6試合に出場(注:1得点)できたことは自信になった」
旧・国立でのトヨタカップ優勝は生涯の誇りだ
――1981年にはコパ・リベルタドーレスで優勝し、東京で行なわれたトヨタカップに南米代表として出場します。欧州王者のリバプールに3-0で快勝。全得点にからんだあなたが試合のMVPに選ばれました。
「超満員の国立競技場(旧)で、素晴らしい雰囲気の中での試合。我々は、持ち味である攻撃的なスタイルで得点を重ねた。世界クラブ王者となった気分は最高。クラブの歴史に永遠に残る快挙であり、私の生涯の誇りだ」
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1978年に最初のW杯を経験し、1981年に愛するフラメンゴをクラブ世界一に押し上げた。円熟期を迎え、世界のスーパースターとなった背番号10は、以後のW杯2大会で優勝を目指した――。
<第5回に続く>
#5
「私がPKを決めていたら」伝説の86年W杯フランス戦、ジーコの両ヒザはボロボロだった「世界の頂点を極められなかったのは残念だが」
#4
ガリガリなジーコ少年が「サイボーグ選手」に…「体がみるみる大きくなり、筋肉も」クラブ世界一へと上り詰めた“肉体改造”とは
#3
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#2
「ツバを吐いたのは私が悪い。でも言い分がある」“30年前の大騒動”をジーコ70歳が本音で語る「鹿島のようなクラブは世界にも…」
#1
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