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ボクシングPRESSBACK NUMBER
25歳で突然「ボクシング界の上戸彩」に…「最初は恥ずかしかった」宮尾綾香40歳が明かす、その後の15年間「一時期は本人に寄せようと…」
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/09/23 11:05
15年前、長野から上京した25歳は突然「ボクシング界の上戸彩」と名付けられ、注目を集める。当時、本人が感じていたのは…
「ただ強くなるだけではなく、ファンをつくりなさい」
アドバイスを噛み締めながら、自らのサインも考えた。2012年9月、29歳で初めてWBA女子世界ライトミニマム級のベルトを腰に巻いてからも『ボクシング界の上戸彩』という看板を意識し、セルフプロデュースにより気を使った。キャラクター作りのためにメディアの前ではあえて口にしなかったこともある。当時、記者に趣味を聞かれても、実はアニメの機動戦士ガンダムが好きで、ゲームのドラゴンクエストにどっぷりはまっているとは公言しなかったという。
前日計量でテキトーな格好をしていると…
「一時期は少しでも(上戸彩に)寄せていこうと頑張っていたので……。イメージを考えたとき、アニメとゲームはそぐわないのかもって(笑)。当時はやはり、万人受けするほうがいいと思っていたんです。だから、メディアの前に出るときは、なるべくかわいい服を選びましたし、ばっちりメイクもしました。前日計量でテキトーな格好をしていると、大橋会長に『もう少しちゃんとしてこい』と怒られましたから(笑)。あそこでしっかり言ってもらえたのは、私にとってよかった。自分のできる範囲のことはやろうと。人を惹きつけるものがないといけないなと思いました。ボクシングで頑張るのは当たり前。プロとしてのあり方などを学ばせてもらいました」
13年2月の初防衛戦は女子プロボクシングでは珍しく地上波でもテレビ放送された。14年10月には、地元の長野で5度目の防衛に成功。まさに絶頂期だった。
「私のためにボクシングがあるくらいに思っていました(笑)。それでも、『話題性だけ』と揶揄されるのは絶対に嫌だったので、それ以上にボクシングで結果を残すぞ、とモチベーションになっていました」
楽ではない女子世界王者の競技環境
ただ、勝負の世界で勝ち続けられる人はいないに等しい。15年10月に王座から陥落すると、想像もしなかった長く苦しい時間を過ごした。16年9月、ワタナベジムに移籍したものの、同年12月には世界再挑戦に失敗し、ヒザに大ケガを負った。コロナ禍の影響で思うように試合は組めず、生活も楽なものではなかった。時にスポンサーの支援を受け、フィットネスジムなどでアルバイトをしながら生計を立てた。