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五輪断念→NHKに直電→オーディション合格…元体操日本代表候補・福尾誠が『おかあさんといっしょ』“誠お兄さん”になるまでの「意外な軌跡」
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by本人提供/Yuki Suenaga
posted2023/09/28 11:06
『おかあさんといっしょ』第12代目「たいそうのおにいさん」だった福尾誠。かつては日本代表を目指すトップ体操選手だった
制作スタッフは福尾があん馬を披露するシーンを組み込んでくれたのだ。跳馬や床運動のように着地で失敗するリスクは小さいが、ショーの一部である以上、よもや途中で落下するわけにはいかない。
「あれは人生で一番緊張したあん馬でした(笑)。でも、おかげで僕にしかできないオリジナルなお兄さんになれたと思えました」
『おかあさんといっしょ』に『どんな色がすき』という人気曲がある。曲中で「どんな色がすき?」と振られたお兄さんやお姉さんが、自分の好きな色を挙げていくパートがあるのだが、ここでも福尾は型破りなオリジナリティを発揮した。
「どんな色がすき?」と聞かれて、「金色!」「金メダルの色だから」と答えたのだ。
金色って言った? クレヨンの歌なのに? この新しい体操のお兄さんが五輪の夢破れたことなど知らないお茶の間は、それなりにざわついたに違いない。
ただ、そんなふうに自分の色を打ち出していきながら、福尾は徐々にお兄さんとして成長していった。
順風満帆な中で起こったコロナ禍の悲劇
そうして就任から1年が経った頃、突然番組を見舞ったアクシデントがコロナ禍だった。スタジオからは子どもたちの姿が消え、お兄さんお姉さんたちだけの“孤独”な収録が続いた。その中で福尾も葛藤していたという。
「子どもたちに囲まれて一緒に遊んでいる。僕が憧れた体操のお兄さんの姿はそうだったし、それが一番やりたかったことでしたから。でも、起きてしまったコロナは仕方がない。誰にどうこうできる問題でもない。だからポジティブに、今までのスタイルから新しい形でやっていこうと。この場に子どもたちはいないけど、観ている子どもたちは一緒。その子たちに楽しいと感じてもらうにはどうしたらいいかを考えるようになりました」
もし就任当初にコロナ禍に見舞われていたらそんな余裕はなかったかもしれない。そう尋ねると、福尾はうなずいて言った。
「最初の1年間で子どもたちと遊んで教わった楽しさというものがなかったら、僕はもうコロナ禍になった瞬間に表現はできなかったかもしれません。最初の1年があったからこそ、ネガティブにならずにポジティブに捉えられるようになったんだと思います」
いま現在も収録体制は元には戻っておらず、その間に福尾には卒業のタイミングが訪れた。
最後の収録の際、4年間一緒に頑張ってきた体操のお姉さんから大きな金メダルが贈られた。オリンピックのサイクルと同じ4年の歳月を経て福尾が手にした大きな勲章だった。