格闘技PRESSBACK NUMBER
20歳で“アイドルレスラー”に…「写真集・ビデオ・CD」人気の裏で、井上貴子が苦悩した理由「演じるしかない。人気が出ればこっちのもん」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社
posted2023/09/02 11:00
今年デビュー35周年を迎える女子プロレスラーの井上貴子
貴子 (井上)京子はかなり早い段階でメインに入れられて、毎日ハードな試合をしていたから、きついことが多かったと思う。吉田(万里子)はケガが多かったから、みんなから遅れを取っていたけど、彼女はいじめられるタイプではなかったかな。
――芸能にしろプロレスにしろ、評価されればされるほど苦行がつきまとう。
貴子 そうっ! 出る杭はほんとに打たれるんだと思った。けど、結果を出すしかないじゃないですか。
――写真集とビデオとCDを、しっかりセールスしなければいけないと。
貴子 私がしなければいけないのは、そこで。プロレスはエンターテインメントだという考えがそもそもあって、トップに立ってやろうとか、全女を引っ張っていくといった器ではないことはわかってた。別の現場では、私のために一生懸命働いてくれてる大人たちがいっぱいいたんですね。写真集にしたって、カメラマンがいて、そのカメラマンにはアシスタントがいる。ヘアメイクさんにもアシスタントがいて、多くのスタッフで動いているチームだったので、この人たちを私1人の勝手な行動で裏切るなんてことはできないと思ってた。
「演じるしかない。人気が出ればこっちのもんだって」
――写真集を通じて、プロの意識がめばえた。
貴子 ほんと、そうです。アイドルレスラーを“演じる”しかないって思っちゃった。徹底しようって。衣装もね、ヒラヒラしてるの。ほんとは好きじゃないし、もっと格好いいものを着たかったけど、嫌というほどヒラヒラを付けてもらった(笑)。徹底して、突き抜けるしかないと思ったんですよ。それで人気が出れば、こっちのもんだって。
――頭を切り替えたら、ラクになりましたか。
貴子 もう完全に開き直り、です。だから途中からは、「(全女の)みなさん、無視してくださってありがとうございました」って思いました。あのころしゃべってたのは、マネージャーの田口(かほる/当時の取締役兼芸能マネージャー)。あとは、記さん。みんながいる前では話さないけど、近所に住んでたので、家に帰ったあとで「ごはん食べにいこうか」って誘ってくれました。(ブル)中野さんも気にかけてくださって、オフの日に自宅に呼んでくださいました。プロレス会場では1人だったけど、心のなかでは、わかってくれる人だけがわかってくれればいいって割り切っていたから、考えを変えてからはラクになりました。アイドルをちゃんとやろうって思えてからは、ね。
〈貴子にとって全女で生きる道とは、写真集だった。続く「第2回」では、現役女子プロレスラーとして初となったオールヌード写真集の撮影秘話や、当時のプロ意識が明かされる〉