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20歳で“アイドルレスラー”に…「写真集・ビデオ・CD」人気の裏で、井上貴子が苦悩した理由「演じるしかない。人気が出ればこっちのもん」

posted2023/09/02 11:00

 
20歳で“アイドルレスラー”に…「写真集・ビデオ・CD」人気の裏で、井上貴子が苦悩した理由「演じるしかない。人気が出ればこっちのもん」<Number Web> photograph by L)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社

今年デビュー35周年を迎える女子プロレスラーの井上貴子

text by

伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

PROFILE

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L)Takuya Sugiyama、R)東京スポーツ新聞社

1988年に全日本女子プロレス興業(以下、全女)でデビューした井上貴子(LLPW-X)の名前を世に知らしめたのは、写真集だった。90年代初頭に訪れた空前の写真集ブーム、ヘアヌード解禁という時流に乗って、デビュー2年後の20歳で初トライ。45歳までで、通算10冊も出版した(デジタル写真集も含む)。

四半世紀もの長きにわたって、“売れるオンナ”であり続けた貴子。並みのアスリートでは成しえない偉業だが、その裏では数えきれない苦行があった。デビュー35周年となる今年、NumberWebに明かした。《インタビュー初回/#2#3に続く》

◆◆◆

――かつて出演したバラエティ番組で、「おニャン子クラブのオーディションを受けた」って言っていたのを覚えています。ほんとですか?

貴子 ほんと、ほんと。学校の女子でそういうのに応募するノリがあったんだけど、もう40年近く前だから、はっきり覚えてないなぁ。ただ、いくつもの審査があって、そのたびにドキマギして結果を待っていて、次はようやくフジテレビ(※おニャン子クラブがレギュラー出演していた「夕やけニャンニャン」の放送局)のスタジオオーディションとなったのに、行かなかったの。全女の2次募集オーディションと重なってたので。

――そこの選択で、女子プロを選んだわけですね。

貴子 落ちたんだけどね(笑)。その年は、前田薫さん(KAORU/元マーベラス)が合格してました。その前にはね、「ちゃお」っていう少女漫画誌の全員プレゼントがあって、そこでちょこっとモデルをやったり。高校1年生のときにはスカウトされたこともあったんですよ、オスカーっていう事務所から。

――えっ!? 「国民的美少女コンテスト」を生んだ大手のオスカープロモーションからですか。

母から言われた「プロレス1本に絞りなさい」

貴子 あのときは、そんなに大きな事務所と知らなかったけど。その話を母親にしたら、「あんたみたいな子に、そんないい話があるわけない!」って反対されて、名刺に書かれているところに電話をされて、断られちゃった。「プロレスラーになって有名になったら、歌えるようになるんだから、プロレス1本に絞りなさい」って言われて、あー、それもそうかと。

――お母さまには、将来女子プロレスラーになりたいことは伝えていたんですね。

貴子 そうなんだけど、なりたい職業が多すぎて、「結局どれなの?」という状態。まだ子どもだからね。そんななかでも、プロレスラーは特別な存在だったんです。生まれつき体が大きくて、体格的に恵まれた人、たとえばジャンボ堀さんのような人がやるものだと思ってたから、私じゃ無理だと。そしたら、小さい体の人が出てきた。ミミ(萩原)さんや立野記代さんを見て、「あっ、この道なら私でも生きられる!」と。

【次ページ】 アイドルレスラーの道へ「相当な反感を買って…」

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