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「泣くな! この悔しさを忘れるな」17歳の村上宗隆は声を張り上げて…スラッガーを育てた“最後の夏”と大粒の涙を見せた”ただ一人”の相手
posted2023/08/24 11:01
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Hideki Sugiyama
グラウンドに出れば誰よりも大声で仲間を鼓舞し、ここ一番では自らのバットで試合を決める――。球界を代表するスラッガーの原点は、高校時代にあった。県内の“宿敵”としのぎを削り、味わい続けた敗北。恩師と後輩の記憶で、頼れる主将の姿を描き出す。夏の甲子園に合わせて、Number1056号(2022年8月4日発売)に掲載された[最後の夏からはじまった]村上宗隆「大砲を育てた〝もう1回〟への日々」を特別に公開します。(*肩書などはすべて当時のまま)
2015年、高校1年の夏、村上宗隆は甲子園の土を踏んだ。九州学院の4番打者として。結果は初戦負けだったものの、この初舞台は彼にとって序章にしか過ぎず、甲子園の再訪は約束されている。誰もがそう感じていた。
「遠くへ飛ばす」を意識して
1995年から九州学院を率いる坂井宏安は、夏の甲子園が終わってから村上を一塁手から捕手へとコンバートした。坂井の観察によれば、村上は記憶力が抜群であり、この能力を生かさない手はない。もしも、捕手として配球を勉強すれば、打者として応用が利くようにもなるはずだ。
打撃では、「器」を大きくしてほしいと考え、徹底してフライを打つように指導した。
「ムネ、内野ゴロを打ったらいかん。そのかわり、内野フライになってもいいけん、球にスピンばかけて、遠くへ飛ばすイメージして打て」
村上はその教えを忠実に守り、ボールを遠くへと運ぶことを意識するようになった。