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「ぶっ飛ばされんじゃないか」アントニオ小猪木が“本物の猪木”に会った日…本人の前でネタ披露も「モノマネやってよ」「今やったんですけど…」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/08/07 17:22
京王百貨店新宿店で8月15日まで開催中の「燃える闘魂・アントニオ猪木展」にて。モノマネ芸人のアントニオ小猪木が、猪木の魅力を熱く語った
悔いが残っているのが、1984年に閉館した蔵前国技館に行っていないことだという。当時、プロレス中継のテレビの下の部分には「蔵前国技館の試合に招待」といった旨の字幕メッセージが流れていたが、小猪木少年はそれに興味を一切示さなかった。
「小学生には遠い世界の話と思っていたからでしょうね。応募しておけばよかったなぁ。両国国技館には、中学生の時に当たって数回行きましたけど……」
「細かすぎて伝わらない」で一躍有名に
2000年代、小猪木はお笑い芸人たちが参加する「西口プロレス」で月1回のパフォーマンスを行っていた。「売れなくていいや。食えなくても、貧乏でも好きなことができればいい」という開き直った気持ちもあった。
そんな折、バラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』の中でやっていた『博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~』の第1回を見て、「自分も出てみたい」と思ったという。
「年齢的に30オーバーはアウトという認識があったんですけど、番組の募集のタイミングでネタを送って……。第3回、第4回の時は100通りくらい送りましたが、あえなくボツ(笑)。やっぱり厳しいなあと感じました」
だが、そんな小猪木に運が巡ってきた。
「長州小力の人気が出てきたときで、そこにあやかって第5回に『君、出るか。小力君の勢いがあるから』と。そうしたら初登場、初優勝ですよ!」
その時を思い出すように小猪木は話した。
「3つネタをやったんです。ザ・モンスターマンにパイルドライバーやってギロチンドロップ。タイガー・ジェット・シンへの腕折り。もう1つ、なんでしたっけ……。ああ、ドリー・ファンク・ジュニアにカンガルーキックを見舞う!」
小猪木のモノマネはいずれも「石橋貴明さんのストライクゾーンにハマった」ものになった。
「あの番組に出たおかげで、仕事が増えました。週刊誌の特集記事にもなったんです。そうしたらそれを新間寿さんが見てくださって……」
こうした過程を経て、小猪木は徐々に“本物の猪木”との距離を縮めていった。