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落合博満“まるでマンガ”の天才エピソード「ベンチで宣言した通りにホームラン打つ」元同僚が語る落合と村田兆治“なぜ2人は理解し合えたか”
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2023/08/04 11:04
ロッテ時代に三冠王を3度獲得した落合博満
村田兆治の壮絶なリハビリ
村田は何事にも手を抜かず、逃げを嫌った。81年終盤、3年目の落合がルーキーの石毛宏典と首位打者を争い、わずかにリードしていた。この場合、味方にタイトルを取らせるため、大抵はライバルを敬遠する。しかし、村田は落合に「絶対に打たせない」と誓い、9月27日の西武戦で石毛を5打数ノーヒット3三振に抑えた。
この年、最多勝と最多奪三振に輝いたエースは翌年、悪夢に見舞われる。5月17日の近鉄戦で右ヒジに激痛が走る。日本中の治療院を回ったが、改善方法は見つからなかった。袴田が言う。
「兆治さんは『絶対に効く』と聞いたマムシの毒の注射を打っていました。それくらい必死で、何でも試していた。実際は効果がなく、手が3倍ぐらいに腫れ上がっていました」
ヒジにメスを入れれば、選手生命が絶たれる――。それが球界の常識だった。しかし、アメリカにはトミー・ジョンの左ヒジ靭帯再建手術を成功させたフランク・ジョーブ博士がいた。村田はロサンゼルスを訪れ、83年8月24日に腱の移植手術を受けた。
「兆治さんの考え方は、普通の人と違うんですよ。だから、日本で前代未聞の手術を受けられた。(精神力を鍛えるため)リハビリ中も山にこもって座禅を組んだり、滝に打たれに行ったりしていた。そういう発想って、なかなか出てこないですよね」
村田と落合「馬が合ったんでしょうね」
村田は84年8月12日の西武戦で復帰。このシーズンは主にリリーフで5試合に投げた。そして85年、“完全復活”を目標に掲げる。初先発の4月14日の西武戦前、落合は村田に「2本打ちますから」と宣言し、6回に松沼雅之から先制2ランを放った。
「村田さんが投げる時、落合さんはよく打ってましたね。たぶん野球に対する姿勢や考え方が同じで、馬が合ったんでしょうね」
復帰戦のドラマ「交代拒否」「落合の2発」
4対0とリードした8回表、100球に差し掛かった村田は金森栄治、田尾安志に連続四球を与える。稲尾和久監督はマウンドに赴き、「代わろうか。あとはリリーフに任せろ。勝利投手間違いなから」と告げた。ジョーブ博士は「100球以上投げてはいけない」と指示していた。