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「父は家族だけの時に逝きました」 千代の富士が愛する夫人と過ごした“特別な晩年”…長男・秋元剛に聞く「千代の富士はどんな父親でしたか?」
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byL)Getty Images、R)Takuya Sugiyama
posted2023/07/28 11:01
千代の富士の息子として生まれた秋元剛。大横綱の父が最後に見せた優しさとは――
大横綱の最期…家族に見せた優しさ
本人は土俵際まで追い込まれても病室では気落ちした様子は見せず、「なってしまったものは仕方ない」と話していたという。
「だから僕もそんなに暗い気持ちにならないようにしなきゃなと思いました。それに『早く帰れ』って言うんですよ。僕がちょうど転職をしたばかりのタイミングだったので仕事が忙しいというのをわかっているから、『見舞いに来なくていいから早く帰れ』って」
亡くなった当日、秋元さんはすでに意識のなかった父の最後の優しさを見た気がした。
「いよいよ覚悟をしておいてください」という話がドクターからあり、会わせるべき人には会わせておかないといけないと愛弟子の千代大海(現九重親方)や後援会長ら近しい人たちに来てもらった。
「でもその日は容体が安定していて、みなさんに先に帰っていただいたんです。そろそろ僕たち家族も帰ろうかとなった時、家族だけになったその瞬間に容態が急変したんです。今まではいつだって家族以外の人がいる状況ばかりだったのに、最後は家族だけの時に逝きました。家族の時間を大事にしていた父らしい不思議なエピソードです」
それは家族に対する精いっぱいの気遣いだったのだろうか。日本のヒーローとして生きた男は、最後は一人の夫として、子どもたちの父親として、愛する家族の前で息を引き取った。2016年7月31日、61歳だった。
晩年の千代の富士が穏やかに過ごした“夫人との時間”
闘病生活を振り返ったとき、不安はあったに違いないが、父にとっては心穏やかな時間でもあったのではないかと秋元さんは思っている。
「何度もお話ししているように、僕たちの家族生活にはいつも家族以外の第三者が、もちろん仲のいい人たちですけど、いろいろな人が一緒にいました。それに結婚してからすぐに僕たちが生まれたので、母が父と2人で過ごす時間ってとても少なかったと思うんです」
千代の富士が久美子夫人と結婚したのは新横綱となった翌年の1982年。そして、その翌年には第一子となる長女・優が誕生している。もちろん土俵の上では角界の大看板として全力疾走し続けていた。
「闘病中は基本的にずっと母がついていました。しばらく鹿児島に治療に行ったりもしてたんですけど、たぶん人生で一番ふたりきりになれたんじゃないのかな。父は釣りが好きだったので現地の友人と一緒に船釣りに出かけ、釣った魚を持って嬉しそうな顔をしている写真を母がスマホで撮って、それを僕たち家族にLINEで共有してくれたり。そういう意味ではとても特別な時間だったんじゃないかと思います。父が亡くなったことはもちろん悲しい出来事でしたが、とても必要な、大事な時間でもあったんじゃないかと息子としては思います」
遺骨は東京都台東区にある玉林寺に埋葬された。秋元家では1カ月に2回、この寺を訪れているという。