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「父は家族だけの時に逝きました」 千代の富士が愛する夫人と過ごした“特別な晩年”…長男・秋元剛に聞く「千代の富士はどんな父親でしたか?」
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byL)Getty Images、R)Takuya Sugiyama
posted2023/07/28 11:01
千代の富士の息子として生まれた秋元剛。大横綱の父が最後に見せた優しさとは――
長男・秋元剛に聞く「千代の富士はどんな父親でしたか?」
千代の富士には、優、剛、梢の後に4人目の子どもとして愛という女の子がいた。しかし、1989年、生後4カ月で乳児突然死症候群のために亡くなっている。その時に千代の富士が選んだ墓が、部屋からも通いやすい距離にあった玉林寺。愛の月命日に墓を訪れるのは家族の恒例行事になっていたという。
「愛ちゃんのことは、そこまで父と母から聞いたことはありません。ただ、月命日にはお墓参りに行く。父がいる時は全員で、父が行けない時は父以外の家族だけで行ってました。愛ちゃんの月命日がちょうど月半ばくらい。父が月末なので、今は月2回になっている。そういう感じです」
千代の富士はどんな父親だったか。あらためて秋元さんに尋ねると、少しだけ考えてこう答えた。
「普通の人でしたよ、みんなが思っているよりもきっと。普通に優しくて、普通に厳しくて、普通にひょうきんで。どうしても神格化されちゃいがちで、もちろんそういった部分もあったと思いますが、ごくごく普通の人じゃないですかね。周りへの気遣いを忘れないタイプでした。お客さんにちゃんこ鍋をよそったり、焼肉を焼いてあげたり、結構そういうことをするんです。やってもらいたいというよりは、人に何かをやってあげたいタイプだったと思います」
蝉が鳴き始める季節になった。もうすぐ千代の富士の7度目の命日を迎える。
〈#3へ続く〉
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