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「一般家庭に比べたら変わってる。でも…」千代の富士の息子が告白…大横綱が過ごした“家族の時間”「さりげない愛情を感じていました」
posted2023/07/28 11:00
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by
提供:秋元剛
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父親は歴史に残る大横綱・千代の富士。
自分は何を求め、どう生きていくのか。それを定めるものを運命と呼ぶのなら、秋元剛の人生は、自らの運命に目を背け、抗うことから始まった。
千代の富士の長男として生まれ、その抵抗は物心つくかつかないかのうちに始まっていた。
「僕はもう生まれた時から洗礼を浴びていると思います。相撲をやってもらいたいという世の中からの期待がものすごかったですから。物心付く前から、会う人会う人に『お相撲やらないの?』とかではなくて『お相撲さんになるんだよな』って」
単に大横綱のひとり息子というだけではなかった。
1980年の九州場所、甘いマスクで角界随一の人気を誇った大関・貴ノ花は千代の富士に喫した黒星によって翌場所での引退を決断した。その11年後、今度は千代の富士が貴ノ花の次男である貴花田(のちの横綱・貴乃花)に敗れた一番によって引退を決めた。
千代の富士は一人息子に、相撲を強制しなかった
さあ次は千代の富士の息子が貴乃花を――。国技・大相撲が紡ぐ大河ドラマの主要人物として生まれながらにキャスティングされ、力士に、横綱になることを、勝手に求められていた。その期待を一身に浴びて、幼い秋元さんはとにかく耳を塞ぐだけだった。
「まずそれを言われることが幼心に嫌で、そこから相撲への関心も無くなってしまいました。相撲に対して一歩引いてしまったというか、境界線を作ってしまいましたね」
当時の記事で「次は貴花田と剛くんの対戦ですか?」と記者に聞かれた千代の富士は「夢のある話だ。家では相撲取りになれと言い聞かせているよ」と答えている。ただ、少なくとも秋元さんの記憶では、父や母からその期待を口にされたことはなかったという。
後年、ファッション業界の仕事がしたいと言った時も父は特に反対しなかった。
「やっぱり父はわかっていたと思うんです。万が一ポテンシャルがあったとしても、本人にやる気がなければ続かない。それに誰よりも相撲の厳しさを知っていたはずですから。父自身が志半ばで横綱になれなかった、とかなら息子に託したいという気持ちもひょっとしたら芽生えたかもしれない。ですが一代で全てをやり切った方ですから。やりたいことや将来については、自分の意志を尊重してくれました」