ただし、もっとも付き合いが長い杉下には厳しかったという。よく選手の前で怒鳴り飛ばされた。付き合いが長いだけに、なれ合いのような部分を見せたくなかったのだろう。また“杉下ならわかってくれる”という信頼感もあったのだと推測される。

「天知さんは『優勝するには、金田正一（1933-2019）に勝たないといけない』と言った。国鉄じゃなくて金田ですよ。だから僕は金田にずっとぶつけられた。この年金田は中日に7試合投げて1つしか勝っていません」

　優勝が決まると、天知監督は「選手を傷つけてはいけない」とスパイクを脱いで胴上げされた。人柄がしのばれる。杉下茂はこの年最多勝・最優秀防御率・沢村賞・MVPを獲得。日本シリーズでも大活躍しMVPに選ばれる。天知監督は、シーズン終了後に約束通り監督を退任した。

「長嶋を助けてやってくれ」と喜んだ

　杉下茂は1956年にひじを痛める。以後は痛みを押して投球を続けた。一方、天知は1957年に再び中日の監督になる。1958年に天知が退任すると、今度は杉下茂がプレイングマネージャーに（登板はなし）。杉下は退任した天知前監督をヘッドコーチにする。師弟で中日の采配を執ったのだ。

　天知はその後、解説者となる。1970年には野球殿堂入り。杉下は大毎で引退したのち、大毎、そして中日と阪神（2球団では監督も務めた）、巨人、西武で投手コーチ、ヘッドコーチとして活躍。“名伯楽”と呼ばれた。1985年に野球殿堂入りを果たした。

「天知さんは長嶋茂雄（1936-）が大好きでね、1976年、天知さんは病床にあったのですが〈今度巨人の投手コーチになりました〉と報告に行ったら、ベッドに寝たまま〈長嶋を助けてやってくれ〉と本当に喜んでくれました。そしてオープン戦を戦っていた3月に天知さんは亡くなったんです。天知さんは本当にまっすぐな人でした。この方と出会わなかったら、私は帝京商業で野球をやめていたでしょう。まさに“生涯の師”ですね」

　2時間にわたったインタビューの最後に、杉下は目を細めて恩師について語った。

中日のキャンプで毎年のように見かけると

　この取材に登場した野球人はあらかた鬼籍に入っている。杉下茂は野村克也、長嶋茂雄の10学年年長だ。

　しかし筆者は、コロナ禍の前まで、中日やヤクルトの沖縄の春季キャンプで毎年のように杉下の姿を見かけた。挨拶をすると軽く手を上げた。

　中日キャンプでは、ブルペンの後ろに立って、投手の動きを凝視していた。そしてメディア、関係者に提供される昼食をぺろりと平らげていた。今、考えればその時点で杉下は90歳を優に過ぎていた。97歳という年齢は、名を残したプロ野球人としては古川清蔵（1922-2018、戦前、名古屋で2回の本塁打王）の96歳を抜く最長寿だろう。

　一つの時代の終焉を強く感じる。

＜#1からつづく＞

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